随筆「東京モノローグ」アーカイブでタグ「その他」が付けられているもの

 2000年代のスタートとなった今年は、20世紀最後の年でもありました。21世紀が近づいてはいるものの、巷ではそれほど世紀末ムードも、そして新世紀を迎える緊張感のようなものもない気がします。実のところ、「いつもどおりの年末気分」の方も多いのではないでしょうか?(昨年は2000年問題のおかげ?!で、何となく張り詰めた感じがあったのですが...) さて、今回は昨年の第53話「11.11.11」に続き、「12.12.12」で書こうと思っていたものの、今週はその最たるネタにするはずの地下の山手線(都営地下鉄大江戸線:12号線だけに平成12年12月12日開業)に乗車するどころか、接する機会すらなかったこともあり、例年通り2週間余りを残してですが、今年一年、筆者の2000年10大ニュースでしめくくってみたいと思います。毎度手前の話で恐縮ですが、どうぞひとつご参考まで。

10.自宅電話回線をやっとISDNに

 自社製品(ターミナルアダプタ「Aterm」)を記念品として入手したのをきっかけに、ようやく自宅の回線をINSネット64に切り替えることが(思ったよりも楽に)できました。インターネットの速さはさほど快適には感じない(というのもPCが古いせい?)のですが、インターネット中でも電話やFAXが受けられるのはありがたいことです。(これで「いつも通話中!」というご不便をかけずに済むようになりました。)

9.映画三昧

 これまで本編「東京モノローグ」では映画にまつわる話は載せてきませんでした。というのも、近年は劇場公開の作品を観に行く機会が少なかったり、もともと映画評論のようなものを書く程の器量もなかったからです。(^^; しかし今年はなぜか観に行く回数だけは例年になく多かったので、ニュースの9位とし、せっかくなのでここで作品名だけでも列記しておくことにしました。(観に行った順に)...「ロッタちゃんのおつかい」「海の上のピアニスト」「トイストーリー2」「シュリ」「アンナと王様」「どら平太」「ミッション・インポッシブルⅡ」「ホワイトアウト」「Taxi2」「シベリアの理髪師」「長崎ぶらぶら節」... 月にほぼ1回のペースは、学生時代以来です。(それにしても、いわゆるハリウッド系からミニシアター系から何でもアリというか。でもこうしてみると確かに「○○○2」ってのが今年は多かったですね。)

8.地元の小学校での「総合的な学習の時間」授業を担当

 昨年6位でとりあげた地元の小学校での授業ですが、今年も引き続き行ってきました。今度は「グリーンコンシューマーとグリーン購入」がテーマ。前回はボランティア活動の一環で話しましたが、今回は言うなれば仕事です。手探り状態でしたが、小学生諸君の熱意に押されて1時限の予定を繰り延べて、2時限まるまる話をさせてもらい、逆にいろいろ話を聞かせてもらいました。後から届いた小学生諸君からの感想ハガキには、実にすごい集中力と根気で聞いていてくれたんだなぁ、と感心・感動させられものが多く、報われました。

 貝がら粉末入り消しゴム、紙製ボールペン、詰め替え可能なノリ、そしてブラシだけ交換できる歯ブラシ、などいろいろ印象に残ったようで、実物を見て・さわってもらう大事さを改めて感じました。(しかもこの授業のおかげで、第77話「やってみよう! グリーン購入」制作にあたって、ワークシート部分の実証に結び付けることができたのはこれ幸いでした。この場を借り、改めて御礼申し上げます。)

7.(荒川源流)大滝村へ

 これは第73話で書いた通りです。間伐作業を含めたこの合宿の内容は、ここに記載の通りです。今年の数ある行事の中では趣を異にする体験でした。

6.「荒川クリーンエイド」ホームページ作業

 いわゆるボランティアベースでのホームページ更新作業として、新たに荒川クリーンエイドのサイトを(部分的に)手がけることになりました。クリーンエイド・フォーラムの運営委員ながら、なかなか本来のクリーンアップ作業に関われないため、昨年同様、舞台裏で力になれるよう努めたいと思います。

5.アースデイ2000

 筆者が「環境ボランティア」と呼ばれるものに首をつっこむきっかけとなった「アースデイ(地球の日)」ですが、日本でのアースデイの当初の運動目標年次である2000年を迎え、その2000年が終わるのに伴い、去る12月2日の記念パーティーを以ってひとたび解散となりました。思い返せばいろいろ語るべきことは多いのですが、昨年後半からアースデイから何となく身を引いていたこともあって、多くを語るのは今は憚られます。(しばらく間をおいてから、そうした想いをまとめてみようと思っています。)

 「アースデイ2000」の東京イベント(日比谷公園:4月22・23日)では、現在の職場(GPN)のブースを自作で設営・出展し、アースデイのおかげで環境の仕事に就くことができたことへの、ある意味"恩返し"ができたものと思っています。

4.全国行脚

 後述1.での出張絡みで、今年に到っては、西は福岡&大分、北は北海道、と列島端々から、山梨、和歌山などのひねり系もあって例年になく津々浦々という感じでした。(別府で泊まったビジネスホテルでアンケートに答えたところ、後日何と「年間コメント大賞」(賞金付き!)をいただきました。ホテルの環境対応について提案めいたことを書いたので、仕事上の役得みたいなところはありますが... ホテルの専務の方から直々に電話を頂戴しました。コメントそのものをえらく気に入っていただいた様子だったので光栄な限り。)

 旅行では、会社保養所関係で熱海、軽井沢、そして12月上旬は、石川・福井へ。筆者としては生まれて初めてのパックツアーに乗っかっての北陸旅行でした。金沢での自由時間では、かつて第3話で登場したY.Aさん(多才な方なのでいろんなところで、いろんなことをなさってます)のお店(ホームページ必見!)にも立ち寄ることができ、充実した旅になりました。

3.結婚5周年

 5周年記念日には大した催しもなく、披露宴式場のサービスで5周年記念写真を撮りに行ったことくらい。5周年記念という訳でもないのですが、上記の「旅行」については二人でいそいそ足を運びました。5周年で感慨深いものがあるので、3位としました。

2.入社10年目

 今はまだ出向中(ちょうど2年経ちましたが)ですが、何はともあれ出向期間を含め、入社してから10年目を迎えることができました。同じ会社にいながらも仕事がちょくちょく変化しているので、早いようで遅いようで、というのが正直なところです。職掌も(順当に)一つ上がって、出向元会社では、環境部署の主任を仰せつかることになりました。

1.(今年も再び)グリーン購入ネットワーク(GPN)での仕事いろいろ

 昨年に続き、この1.にまつわる時間がやはり圧倒的になってしまいました。

 仕事の話を書き綴るのは気恥ずかしくもあり、また僭越でもありますが、特筆できるものを挙げるとするなら以下の4つでしょうか。

1)環境データベースとデータブック関係では、昨年にも増して、データの更新を重ねることになりました。本稿を書いている12月15日は、「エコプロダクツ2000」開催期間の中日ですが、本展に合わせて一斉に最新版を発行するなどしたため、この業務はめいっぱいでした。(「エコプロダクツ2000」ついでに、CD-ROMも作りました。来場者にはもれなく配布しています。催しは、16日17時までです。)

2)「グリーン購入ガイドライン」の「制服・事務服・作業服」編を制定するにあたって、ガイドライン本文・背景説明文・データ登録フォーマット等々をまとめる作業をかれこれ足かけ10カ月。消費生活アドバイザーの視点がどれだけ活かせたかは"?"ですが、ともかく貴重な経験を得ると同時に、繊維・衣料品の実態についていろいろ学ぶことができました。

3)繰り返しになりますが、やはり小学生向けワークブック「やってみよう! グリーン購入」は自ら手がけたものとしては大きいものがあります。(おかげ様でよく出ているようです。)

4)昨年以上に講演の場を多くいただきました。フィルムメーカーの研修、町田市の消費者イベント、損害保険の会合での勉強会、など合計4時間余り。3月の「グリーン購入フェア」(北九州、札幌、大阪)でのショートプレゼンテーションなども加えると場数は結構多かったと思います。原稿を書いたり、業界誌の取材に応じたりというのもいくつかあって、仕事面では本当に充実した一年となりました。

...皆さんにとっての2000年、(さらに思いを馳せるなら)20世紀はいかがでしたか? どうぞよい年末年始を、そしてよい21世紀の幕開けをお迎えください。(新世紀最初となる次回は、いよいよ第80話になります。)

 巷では第何次ブームと言っているか知らないが、今の音楽界はどこを見てもバンドバンドで、一つのブーム期にあることは異論ないだろう。そうしたバンドに加えて、様々なタイプのグループも増えてきて、今では楽曲名なのかグループ名なのか、どっちがどっちだかわからないケースが増殖している気がする。(昔々、「レベッカ」が歌う「フレンズ」か、「フレンズ」が歌う「レベッカ」か、なんて笑い話があったが、今となってはこれは全然軽度な話である。)

 最近で訳がわからないのは、Do As Infinity、ちょっと前には、Say A Little Prayerなんてのもあって、これらは直訳すると、「こどものようにやってみよう」「小さな祈願者と言って」(?)となり、まるで意味不明である。曲のタイトルと間違われても文句は言えないと思う。あんまりグループ名が長いので、略して呼ばれてもよさそうだが、こういう英語構文だとどうしようもない。こうなると、仮にヒットが出てもそれ一発限りで、グループ名ともども記憶から消え去ってしまうのではないかと要らぬ心配をしてしまう。

 息の長いミュージシャンになりたいという願いが本人達に、そして息の長いミュージシャンを世に出したいという想いが音楽業界にあるのであれば、たとえ意味不明なネーミングでも、短縮形にできるもの、加えて短縮形でそれなりにしっくりくるものを考えるべき、と思う。そういった経験則が仮にあるのであれば、必然的に納得のいくネーミングが増えてくると思うのだが、相変わらず手前勝手なネーミングが減らないのは残念だ。

 ミスチル、ドリカム、マイラバあたりは、フルネームを想い起こせる人も多いだろう。ネーミングに妙があり、音楽に相応の普遍性があり、その融合がうまくいっている証拠なんだと思う。略して呼ばれるようになるのは、メジャー入りの証しというのはもっともだと思うが、それにはまず短縮できるネーミングがあってのことなので、普遍性ある音楽ができる人達は、名前にも普遍性を考えている、という法則も成り立ちそうだ。これに似たような短縮形ネーミングとして近年では、ジュディマリ(Judy & Marry)、ブリグリ(the Brilliant Green)、ヒスブル(Hysteric Blue)、サムエル(Something Else)、イエモン(the Yellow Monkey)などがある。どれも短縮形だけ聞くと何のこったかわからないネーミングだが、まぁ親しみは持てそうだ。これらは、言うなれば2つの語の頭をくっつけた例で、最もポピュラーな短縮方法と思われる。

 よく考えると、古くからクリキン(クリスタルキング)、スタレビ(スターダスト・レビュー)、チャゲアス(CHAGE & ASKA)、スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)、プリプリ(プリンセス・プリンセス)などがあるのだが、それほど数多く思い出せないことから、長いネーミングが増えてきたのはやはり最近のことなんだと思う。(余談だが、ピンキーとキラーズを「ピンキラ」、殿様キングスを「トノキン」、もんた&ブラザーズを「モンブラ」、ナイアガラトライアングルを「ナイトラ」なんて言うのは聞いたことないから、短縮できてもなじまない場合もある点、注意が必要だ。)

 では、次の短縮形はどうだろう。「ドリフ」「サザン」「ラルク」... これらは、先頭だけを縮めたものだが、頭が3文字で言い切れる場合に用いられることが多いようだ。逆を言うと、ラルク・アン・シエルを「ラルシエ」とは誰も言わないから、2語の頭をつなげばいいと言う訳ではないのである。3文字で効率よく名前を覚えてもらえるという点では、先の2語合成の例よりはもしかすると優れているかも知れない。

 もう一例。YMOは有名だが、ELT、SLT、TPD、TMN、TMR、と来ると、どれだけの方がフルネームを思い起こせるだろうか。それぞれ、Every Little Thing、SING LIKE TALKING、東京パフォーマンスドール、TMネットワーク、TM-Revolutionだが、これではまるで、世界の空港の短縮形みたいなものだ。実際に広く略称が通用している場合とファンの間だけで通称となっている場合とがあると思うが、ただ長いだけで覚えられない名前よりは余程いいように思う。(そう言えば、サザンはSASでも通用する。大物はいかようでも略され、浸透してしまう、ということだろうか。)

 という訳で、ここんとこ新人を乱発ぎみの音楽界に疑問を投げかけつつ、ネーミングについて考察してみた。昔のバンド名やグループ名は明瞭明解なのが多かったなぁ、と思うものの、最近は誰でも好きな名前で出られるようになって、いろんな人からいろんなスタイルで支持されて、そんな多種多様かつ混沌とした世界の方が実は望ましいのかな、とも思う筆者である。(それにしても、ヒットチャートを見ていると、ネコの目状態でとても覚えきれるものではないですねぇ。)

 蛇足ながら、「エレカシ」は「エレファントカシマシ」である。第59話で「赤羽」について書いたが、例の「アド街ック天国」の掲示板は瞬く間に、この「エレカシ」ネタで埋まってしまっていた。(ビックリ!) 何でも主なメンバーの出身が赤羽(リーダーは赤羽台団地)と言うことである。ファンの後押しもあって、番組の赤羽ベスト10では、エレカシは堂々10位にランクされていた。

 さらに蛇足を書かせてもらうと、筆者予想と番組でのベスト11の対比は下記の通りとなった。6つ当たって、5つハズレである。(番組上位5位までは言い当てたから、まぁいい方かも知れない。)

筆者予想 → 番組での順位

  1. → 1.赤水門・青水門など荒川関係
     これは大当たり! 番組で荒川知水資料館が出て来なかったのはちと不満。
  2. → 4.一番街(まるます家など名物店)
     番組では、まるます家が単独扱いで4位だった。
  3. → × アピレ・ビビオ・イトーヨーカ堂
     番外でちょっと紹介があった程度。ランク外とは予想外。
  4. → 2.すずらん通り
     一番街とLa Laガーデン(スズラン通り)のセットで2位扱い。
  5. → 3.小山酒造(丸真正宗)
     番組では堂々の3位。
  6. → △ 赤羽らーめん
     満月が16位に入っただけ。他のラーメン店はランク外。
  7. → 9.カトリック教会
  8. → × 赤羽緑道公園~赤羽自然観察公園
  9. → × 消費者金融
  10. → × 星美学園・八幡神社
     番組での6、7、8位は、ハリウッド(キャバレー)、平沢かまぼこ店、大竹麺機だった。意表を衝かれた感じである。
  11. → 5.カルビー
     カルビーが5位! ちょっと意外だった。

 いよいよ90年代、いや1900年代、さらに言えば1000年代の終わりが近づいてきました。1000年代をふりかえられればスゴイのですが、そういう訳にはいかないので、毎年恒例?!になった今年一年、筆者の1999年10大ニュースでしめくくってみたいと思います。(一年には一年の重みがありますよね。) 手前の話で恐縮ですが、どうかひとつご参考まで。

10.西方面の国内旅行

 後述1.での出張絡みによりますが、昨年が東日本中心だったのに対し、今年は西へ行くことが本当多かったです。首都圏を除くと、最も東は静岡。順に西へ愛知・岐阜・滋賀・大阪・兵庫・岡山・鳥取・島根・福岡・熊本の1府10県の地に足を下ろしました。鉄道好きの筆者ですが、飛行機を利用する旅が多かったのも今年の特徴で、羽田以外では、米子・鳥取・熊本・福岡の各空港を利用しました。弾みがついたので、今後は全国の空港めぐりがテーマになるかも知れません。

9.「ケイコとマナブ」日常のなかのボランティア 取材応対

 これまで小欄やミニコミ誌で記事になったことはありましたが、全国系の月刊誌でまるまる1ページというのは、後にも先にも?!これが唯一でしょう。「インターネットを活用したボランティア活動編」と題して、「みんながみんなとつながるボランティア ViVa!」について、メンバー連名で載せていただきました。文字数は多くはなかったものの、時間をかけて取材に応じた甲斐あって、正確性では満足のいくものとなりました。ViVa!は事務所を持たないため、筆者の職場が格好の取材兼撮影場所となり、載った写真がいささかヤラセ的になってしまったのは、余興みたいなものです。(同誌9月号の54ページに掲載)

8.「東京モノローグ」おかげさまで2周年+50話達成

 別にエッセイスト志望だったとか、随筆が何たるものかわかっている訳ではないのですが、何となく始めたこの「東京モノローグ」も2年が経過し、話数も50を超え、存在感が増してきたかな、と思う今日この頃です。今後は画像ファイルをより多く取り入れ、視覚的に読めるものをめざしたいと思います。

7.アースデイ2000ホームページ & アースデイニュースの担当を降板

 92年の秋から約7年間かかわってきたアースデイ日本での諸活動は、GPNでの仕事が本格化してきた(満足の行く手伝いができなくなってきた)等の理由により、現在休止中です。4月22日(アースデイ)の深夜に、JCAでの旧ホームページからアースデイ2000の新規ホームページへ移行したのが、今年のアースデイ関係で最たる作業になりました。

6.地元の小学校での「総合的な学習の時間」しめくくりの授業を担当

 荒川の沿革、クリーンアップ活動のあれこれに始まり、ゴミと生き物の関係、人と地球が共存するために考えたいこと、などを5年生の皆さん(と言っても学年総勢で20数名)の前で話してきました。第47話・第48話で書いた荒川の怖さをOHPにして説明したり、クリーンアップ全国事務局から拝借した大判写真パネル(釣り糸に絡まって命を落としたペリカンや漁網にひっかかってやはり絶命してしまったウミガメなど)を使い、視覚的にインパクトを持たせる工夫をしました。この日は「総合的な学習の時間」の研究発表大会だったため、全国の教育委員の先生方も大勢(生徒さんより多い!)詰めかけ、廊下にあふれる程だったのにはビックリ! 30分という限られた時間でしたが、やれるだけやったので、その思いが少しは通じたか、概ね好評でした。

5.自転車通勤

 第43話第46話で書いた通り、この期に及んでもまだ続けています。始めた当初は明治通りから表参道を通るオーソドックスなルートでしたが、研鑚を重ね、人もクルマも少ない経路を開拓するに至り、特に帰途は最短で13分(国連大学→新宿駅南口)で走れるようになりました。最近はさすがに寒さが応え、最低15分かかってしまいますが、頗る快適です。ちなみに往路では、タカシマヤ前の信号が青になってから横断し、新宿御苑の縁を廻り、北参道の交差点に出ると、ちょうど青信号。そこからさらに一定の速度で明治公園前まで来れば、その後の霞岳団地~キラー通り~ハナエモリビル~クレヨンハウスのルートを、ほぼ青信号のまま通過できることが判明し、いかにひっかからないように走り抜けるかが日課になっています。

4.荒川クリーンエイド・フォーラム(NPO法人)の運営委員に

 NPO法人格の仕組みは何となく心得ていたものの、まさかNPO申請に必要な名簿上の委員になるとは思いもよりませんでした。ともあれ荒川クリーンエイドを主活動とする「荒川クリーンエイド・フォーラム」に今年から肩入れすることになり、夏休みの前と最中に実施した親子セミナー(水質調査、釣舟乗り+投網体験、クリーンアップ実習等・・・これ即ち宿題対応ですね)をはじめ、いろいろ手伝っています。運営委員にもかかわらず、肝心のクリーンエイド(一斉開催日)は、出張と重なってしまったため、主催(会場受け持ち)も参加もできず、恥ずかしい限り。せいぜい舞台裏で力になれるよう努めたいと思います。

3.理事会の任期終了

 第38話でも書いた通り、自宅マンションの理事会役員なんてのを務めてましたが、7月で任期が終わり、それ以後、本来の悠々自適生活?!になりつつあります。今思えば、長いようで短かったというのが正直なところです。年寄り役になるつもりはないのですが、ついつい手出し口出ししてしまうのは哀しいサガというものでしょうか。

2.ヨーロッパ旅行

 本篇では特に書きません(東京モノローグは、東京中心、または国内なので...)でしたが、8月末から9月初旬まで、遅い夏休みをとって妻とヨーロッパ(ベネルクス三国+ドイツ)の旅に出てました。前半は世界遺産、後半はイベント+花。全体テーマは鉄道といった感じです。

 行程順に短評を書くなら、以下のような感じです。(ベルギー:白、ドイツ:独、オランダ:蘭)

 ルクセンブルクはオススメですが、リエージュ(白)はちとNG、ケルン(独)は観光都市然としすぎて大聖堂以外は面白味に欠け、むしろボンやアーヘン(いすれも独)の方が楽しい。ブリュッセル(白)は雑然としているが、アントワープ(白)はオシャレな感じ。ロッテルダム(蘭)は復興都市なのでエネルギッシュだけれど、ちょっと危ない雰囲気。アムステルダム(蘭)は人種の坩堝のようなところで、こぎれいなイメージと異なり、雑多(いい意味でにぎやか)でした。

 今回は一度も雨に降られず、晴天続き。ほどよく乾燥している気候なので、本当に過ごしやすかったです。最高気温はせいぜい25℃なので、正に避暑旅行となりました。(CNNとかの世界の気象番組で東京の気温が連日30℃となっているのを見て、ビックリしたものです。)

1.グリーン購入ネットワーク(GPN)での仕事いろいろ

 とにかく今年はこの1.にまつわる時間が圧倒的だったので、10.~2.までの出来事は大差なく、どんぐりの背比べのような感じです。

 これまでの経験やつながりが仕事の端々で関係してくるので、本当に仕事内外の境界線がないような状況で日々過ごしています。(これはイイ意味で刺激的です。)

 ホームページ系の作業はこれまでいろいろ携わってきましたが、何よりGPNのホームページのメンテナンスが仕事としてできるのはうれしいもので、受け持った当初と比較してそれなりに満足のいく構成・内容になってきたように思います。加えて、環境データベースとデータブック関係では、実に多くの企業の方とのやりとりができ、充実した仕事ができました。今なお、制作プロセスで課題を抱えていますが、これだけ多くの環境情報(商品情報)が入手できるツールは他にないものと自負したいところです。

 GPN主催イベント「フォーラム99」では展示会を主に担当しましたが、イベント業者を介在しない割にはそれなりの形でまとめることができたものと思っています。こどもの国でのフェスティバル企画・運営の経験が多少は活かされた気がします。)

 他には、地域フォーラムに伴う出張+短時間の講演の数々、そして、原稿を書いたり、各誌の取材に応じたり、などなど。これらを通し、視野がグッと開けたように感じています。ありがたいことです。

・・・

 皆さんにとっての1999年、(さらに思いを馳せるなら)1990年代はいかがでしたか? 2000年問題への備え第51話は怠りなく、そして過ぎ行く一年十年百年...をしっかり刻み留める意味で、忘れるを是とする忘年会ではなく「刻年会」とか「記年会」等といった催しをされるとよいでしょう。どうぞよい年末年始を、そしてよい2000年代の幕開けをお迎えください。

 上期・下期の変わり目はとかくあわただしいものだが、期末=繁忙とは無縁のはずの現職場でこうも多忙(いい意味で)になるとは思いも寄らなかった。9月の最終週は日替わりで、大事な会合あり、作業の〆切あり、出張の準備あり等々。充実していていいのだが、落ち着ける日がなくお手上げ状態。本稿、第50話は一つの節目になるだけに満を持して書こうと思っていたので、出張が明けてからの公開(予告10/5)とさせていただいた訳だが、無理が祟ったか週明けから体調が思わしくなく、火曜日は目眩がして歩くのが困難になってきたので早退する始末。そんな状況下でちと不本意ながら、ともかく50話を迎えることができた。読者の皆さんに感謝しつつ、気持ちを新たに連載を続けることを誓うばかりである。

990929.jpg 何も人が多用な時期に優勝しなくても...という恨めしさは残るが、隠れドラゴンズファンの筆者としては、ともかくうれしい9月30日だった。ただ精神的余裕が乏しくなっていたので、感激もさほど大きくはなかったのである。巨人が負けた時点で確かに優勝はしたものの、同日のヤクルトとの試合に勝って8連勝した時点での優勝決定&監督胴上げの方がインパクトは大きい。その前後にちょうど仕事を終えたので、自転車で神宮球場に足を延ばし、外から「万歳!」の大歓声を聴いたのだが、「あぁ勝ったんだ...」と当たり前のような感情が支配的で、ぐっとくるものがなかった。前日の9月29日は無理やり仕事に区切りをつけ、神宮球場で観戦したのだが、この日は巨人が負けて、ドラゴンズが逆転勝ち。逆転した瞬間、そしてマジックが2つ減って一気に1になったその瞬間を共有できた時の方が感慨深かったのだから、何とも不思議なものである。職場の近在で優勝カウントダウンの試合をやっている以上、これを観に行かない手はあるまい。新聞屋から自由席招待券をもらった時は、「消化試合になっているかも知れないけど、ま、いいや」と思っていただけに、優勝決定前夜のボルテージが最高潮の試合を観戦できたのは、実に幸運だった。(仕事に余裕がある時期だったら、もっと良かった?!)

 マジックがひと桁になってからは優勝まで本当に早かった。巨人が負けない、だがドラゴンズも負けない、という日々が続き、やきもきさせられたものの、マジックが点灯してからひと桁になるまでのもたつきと比べれば、実に加速度的だった。それ故に、マジックが減っていく快感をイマイチ実感できず、優勝して当たり前という思いになっていたのかも知れない。とは言え、試合終了後、沿道の列に加わり、ドラゴンズ一行を乗せたバスを見送った時には、さすがに感極まるものがあった。29日・30日と続けて、その場に居合わせられたのもまた幸運なことである。(最前列に座る星野監督がにこやかに手を振っていたのが何とも良かった。)

 かつて父に連れられ、後楽園球場で巨人×中日戦を観に行ったのは、78年の頃だったろうか。巨人:柴田・高田・シピン・王・張本...、中日:田尾・平野・モッカ・谷沢・大島...の打順だったことは何となく覚えている。中日のバッテリーは堂上と田野倉。1回裏、いきなり柴田・高田に連続ホームランが出て、巨人に押されっぱなしで結局負けてしまったあの試合。名古屋に引っ越してから、ナゴヤ球場で観戦した時も負け試合だった。当時は野球好きでもなかったので、中日が勝っても負けてもどうでも良かったのだが、観に行けば負け試合、というのが続いたので、弱い球団だなぁという印象が強かった。大阪に引っ越した82年。周りが阪神ファンばかりだったこともあって、名古屋からの転校生だった筆者はアウェイな感じ。されど同調して阪神ファンに転向する訳にも行かず、流れで中日を応援することになってしまった。(これが今日のドラゴンズファンの基礎となっている。) ともかくこの年、82年は見事優勝し、弱い球団という印象は去り、鼻高々に過ごすことができたのを記憶している。優勝決定の試合は対大洋ホエールズで、その瞬間をUチャンネルのザラついた画面で見たものだ。

 優勝明け10月1日付のスポーツ紙の一欄に過去4度の優勝時のレギュラーメンバーが載っている。82年は、田尾・平野・モッカ・谷沢・大島・宇野・上川・中尾、主なピッチャーは都・小松・牛島とある。いやはや懐かしい。そして筆者が大学生活に入った翌年の88年、昭和天皇の病状が思わしくなかった頃だったので、いわゆる列島総自粛のあおりで、祝賀会も何もなく、ファンとしては寂しい思いをした。当時のメンバーは、彦野・立浪・ゲーリー・落合・宇野・仁村(弟)・川又・中村、主なピッチャーは小野・小松・郭...。優勝決定の試合は、仙台松島を旅行していた時だった。学生身分としては奮発したのが奏功し、観光ホテルの立派なテレビでその始終を見届けることができたのは良しとしたい。最後は小松が締めくくって胴上げ投手に。早いもので11年前の話である。この間、2位が5回(最後の最後で優勝できなかった96年は特に印象的)だったのだから、ファンとしては辛酸を舐める思いである。確かに弱くはなかった。横浜球場・神宮球場で何回か観戦しているが、小さい頃に観に行った時とは違って、全て勝っている。9月29日も勝ったことだし、これで何連勝だろう、という感じである。

 巨人は財力と人気に物を言わせ、他球団で実績ある選手をかき集めては、消耗品のように使い捨て、という批評を目にするが、大いに首肯できる。中日の強さはプロ野球の本道に従った成果だと思う。ナゴヤドームに対応した小刻みかつ僅差を制するチームを地道にめざし、それを見事に結実させたのだから天晴れである。ここまで来たら、ズバリ日本一をめざしてほしいものだが、ダイエーが日本一になればなったで、相応のセールが始まることだろうから、小市民としては応援しにくいところである。(パ・リーグでどこがひいきかと聞かれたら、ダイエーと答えるかも知れない。) 中日ファンとしては背信的だがここは一つ大目にみていただきたいと思う。

 余談だが、今年大活躍だった関川選手は筆者と同い年。11年前の優勝経験者である立浪選手、そして30日の試合で骨折してしまい、日本シリーズで雄姿を見られないのが残念な山崎選手、みな同い年である。同年の選手が活躍して、優勝を成し遂げたのを見るにつけ、こっちも一念発起しなければ!と思う筆者なのだが、おっとまた目眩が...。

 遅い夏休み旅行(今考えると避暑旅行)から戻ってきて、東京がまだまだ蒸し暑いのにはほとほとまいってしまった。そんな残暑と不快度の高さから生じる訳ではないのだろうけど、9月8日・10日・12日と相次いで、筆者自宅周囲の道路で自動車の事故が起きた。8日は日中だったので詳細は不明だが、聞くところによると、トラックと乗用車による衝突事故。10日は夜の10時頃のことだが、衝突音と爆発音のようなものが聞こえたので、洗面所の吊り棚が落ちたにしては大げさだなぁ、とか思いつつ、何気なくベランダに出て見下ろせば、1台のミニワゴン車が意味不明な右折(急ハンドル)をして、ガードレールに突っ込んでいる。バンパーは分離・落下し、前面は大破しているが、運転席には影響なく、軋んだ扉をこじ開けて、運転手が出てきた。幸いケガはなかったようだ。ほどなく、マンション住民、近隣の住民が詰めかけ、車の周りを取り囲み出した。何と反応の早いことか。するとまず救急車(運転手が無傷なのがわかるとさっさと引き上げてしまった)がやってきて、次いでパトカーが3台到着した。即座に連絡が行ったのだろう。事故発生後5分程度で来たのは感心した。横向きに突っ込んでいるものだから、両側車線を遮っていて、車は通れない。という訳で、パトカー2台が現場を挟むようにして車道を遮り、通行止めにしたところで、取り調べが始まった。筆者も野次馬なので、下に降り、現場検証させてもらった。

 大破した前面を見ると、悲惨の極み。大してスピードは出ていないはずだが、ガードレールの潰れ方に比例して目茶目茶である。前輪はパンクはおろか、楕円形に変形してしまっている。事故車を前に、警官と運転手が会話している。事故原因をつかみかねているようだったが、ひとまず「単独衝突事故」云々と警官が無線で告げると、検証は終わり、次に運転手はパトカーに乗り、酒気帯びの検査が始まった。だが飲酒運転でもなかったらしく、今度は警官が調書を書くのに淡々と応じている。筆者が思うに、助手席に携帯電話が吊るされていることから、携帯電話に気を取られて、反対車線を走ってしまい、ガードレールに衝突。ハンドルが効かなくなって、ブレーキをかけて横滑りしたのでは? というのが考え得る。ガードレール2~3本分を駄目にしているため、急ハンドルで単純に衝突した訳ではなかったのである。いやはや。

 しばらくすると「東京レッカー」と称する指定業者のレッカー車が現れて、作業が始まった。事故車をまず後ろから引っ張り出すかと思いきや、外れたバンパーの前面上あたりをチェーンでつなぎ、いきなりクレーンで吊り上げてしまったのにはおそれいった。後輪が動くので、クレーンの微妙なコントロールでいとも軽々と車体の向きを変え、レッカー車で牽引できる状態に持って来てしまった。ちょっとした熟練技である。もう一人の作業員は落下したバンパーの撤去の他、竹ホウキとチリトリでもって、さっさと破片やら破損部品やらを片付ける。警官が車検証を確認して持ち出すと、運転手とともにそのままパトカーに乗って、去ってしまった。レッカー車もいっしょに動き出すかと思ったら、事故車を牽引用の軸台に載せたまま、クレーンを使い、今度はガードレールの修復を始めた。クレーンを使えば、拉げたガードレールも水平かつ直角に、ある程度戻せてしまうのである。応急処置とは言え、これで歩道も使えるようになるので何よりである。1台数役をこなすレッカー車の仕事ぶりにはともかく感服した。

 レッカー移動が完了すると、通行止めしていたパトカー2台も去り、いつものように車の往来が始まった。こうした事故がどのように処理されるか、顛末を見届けることができ、ちょっとした勉強にはなった。しかし、事故は未然に防ぐに超したことはないという意も強くした。

 もともとこの道路は、浮間方面から新荒川大橋(川口方面)への抜け道になっているため、交通量が少なくないのだが、さらに悪いことに交差点に信号機が付いていない箇所が続くため、暴走(マナーの良くない)車が多い。(8日の事故はその一例である。) 特に夜間は信号無視する車さえあって、危ないことこの上ないのである。あと数カ所でも信号が付けば、暴走車の歯止めになるものと思うのだが。

 12日の事故は、そんな信号のない交差点で起こった。信号がないから、この交差点を横断できない不便さに加え、車どうしの交差が激しいため、人を巻き込んでの事故が起こりかねない状況は前々からあった。図書館の近く、かつ付近にマンションが増え、こどもの往来も多くなっていることから、一歩間違えば人身事故の可能性大である。区長宛のハガキを使って、こうした状況改善をお願いしてはみたが、単に管轄の警察署に要請した、という返事どまりで具体的な措置がとられていない。環八通りを拡幅する工事が進んでいるが、どうもその環八通りが広がって、交通量がどう変化するかを見極めてから、わき道(抜け道)の交通環境改善を考え始めるようである。

 この日の事故では、一時停止線の描かれている進入方向から来た車どうしが正面衝突し、一方が半回転して、両者の後方どうしが再度衝突する、という複雑なものだった。両車とも標識通り一時停止すればよかったものの、いずれも優先道路と勘違いして突っ込んだようだ。幸い歩行者を巻き込むことはなかったが、半回転した方の乗用車の運転手がムチ打ち・わき腹打撲等で救急車で運ばれてしまった。もう一方の車はベンツというだけあって、運転手は全く無傷だった。ただ、その運転手は案の定と言おうか、いわゆるお金持ち風の若者だったため、救急車で運ばれたケガ人を気遣うどころか、しきりに携帯電話をかけまくり、助けを求めている、いやとにかく我関せずの図である。いい車に乗っていても精神面が伴っていない好例と言えようか。警官からの聴取中もタバコをふかしながら、携帯で話をしているのだから、呆れるばかりである。周りからは責任回避・自己逃避にしか映らないというのに。

 10日の事故処理と違っていたのは、ガソリンが漏れ出していたため、消防車がやってきて、特殊な粉末を撒いて発火を防ぐなどの処置をとっていたことと、散乱していた破片やら破損部品やらは警官が始末していたこと、といったところ。他のプロセスは10日と同じようなものだった。同じく「東京レッカー」車がやってきたが、至近地での続けての事故に作業員も呆れたに違いない。ちょっと手こずっていたが、ガードレールの応急処置を含め、さっさと済まして帰って行った。頭が下がる。

 交通事故は不思議なもので連鎖反応的に近所で続けて起こることがある。風水とか易とかで調べると、何かの巡り合わせ(偶然ではなく必然か?)で事故が起こるようになっていることが判るだろう。お祓いもすべきなのかも知れない。だが何よりも近隣の早急な交通環境改善が望まれるところである。大事故が起こってからでは遅いのである。

 ここ数年、6月に雨が多い年と少ない年が交互に訪れているように感じる。一昨年の6月は確か、複数の台風に見舞われたものの、晴れた夏日が占めていた。代わりに7月は梅雨に延々とたたられ、梅雨が明けたのかどうかはっきりしないまま、8月になってしまったように記憶している。今年もそんな感じになりそう、という予感がするのは、今のところ梅雨前線が南に下がったままで、梅雨らしくない日が続いているからである。どうもこの調子だと、夏を実感できない7月を迎えることになりそうである。

 6月に入ってから(というより、梅雨入り宣言が出てから)、雨に降られた覚えがない。6月の第2週は、ずっと曇りか雨、そんな週間予報を6月第1週に聞かされていて、「あぁ早いもので、もう梅雨の季節かいな」と思っていたのに、当の2週目になると、月曜日を除いて、すっかり晴天(しかも夏日)続きである。連続して週末が晴れてくれるのもありがたい話ではあるが、春からいきなり盛夏になってしまった感のする今日この頃、暑いのはやはり身にこたえる。

 筆者のかねてからの念願がかなって、現在、新宿駅と職場までの約4kmを自転車で往復しての通勤生活を送っている。自転車通勤を始めてみると、随分前からそうしているような錯覚に陥ってしまうが、よくよく考えるとちょうど1カ月経った程度であった。始めた当初に比べると、自転車にとって都合のいい道路もわかってきたし、足腰もなじんできて、今は確かにいい感じなのだが、6月に入ってからは、そんなに自転車も使えまいと思っていただけに、今月のこの晴天続き(しかも暑い!)には正直、肩透かしを食らっている。この時期ならではの降りそうで降らない曇り空とかだとちょうどいいのだろうけど、こう晴れ晴れと、しかも朝から陽射しが強い場合などは結構ツライものがある。新宿駅から明治通り沿いに、北参道・千駄ヶ谷小学校前・神宮前の各交差点を通り、同潤会アパート経由で表参道駅に抜けるポピュラーなルートだと、途中の起伏が2回あるため、登坂訓練するならまだしも、本当に暑い日に上り坂相手に自転車をこいだら、たまったものではない。暑くなる前にと、起伏を避けるルート(自転車にとって好都合なルート)を何とか探し出しておいて助かったと思う。そのルートとは、北参道交差点(フジタの本社ビルがあるところ)からは通称「千駄ヶ谷グリーンモール」という車両一方通行の路地に入り、鳩森八幡~観音橋(→地図~明治公園~日本青年館~神宮球場~外苑前駅~表参道駅、というもの。これだと明治公園のあたりから、少々上り坂になるだけで、おしなべて平坦なので楽なものである。信号交差点も少ないため、足止めを食うこともあまりなく、早ければ新宿駅から職場のある国連大学の裏手まで、15分以内で到達できる。恵比寿行き直通の埼京線に乗った場合でも、新宿から渋谷まで、電車でまず5分。埼京線渋谷駅は、ほとんど「南渋谷駅」状態なので、埼京線ホームから職場まで、ゆっくり歩くとすぐ15分くらい経ってしまう。これを考えると新宿からの自転車通勤は至って快適である。もっとも、いま流行の電動アシスト自転車を使えば、起伏も関係ないから、さらに快適感が増すだろうけど、やはり自力でこぐところが自転車通勤の醍醐味だと思う。

990605.jpg(電動アシスト自転車は、6月5日の世界環境デーで、国連大学前の「GLOBAL ECHO」、代々木公園の「低公害車フェア」でそれぞれ体験試乗してみたが、軽快な反面、走り始めでちょっと勢いを付けると暴走するおそれがあるのが要改良点と感じた。リミッターが付いているから安心ではあるが、こいだ分だけの相応の「足応え」がないのはつまらないものである。)

 このまま雨の少ない6月が続けば、まさしく「水無月」。暑いのはさておき、雨を気にせず、引き続き颯爽と自転車通勤を続けられるのはよしとしても、梅雨が7月に集中して、その間自転車に乗れない、というのが実はイヤなのである。エコロジカルな通勤を実践したい、というのも目的の一つにあるのだが、日脚も長くなることだし、帰途で夏の夕風に吹かれながら、まだ日が落ちきる前の東京の街並みを堪能したい、そしてまだ見ぬいろんな街角を探訪したい...そのために自転車通勤しているようなものだから、7月の雨降りは、どうとしても勘弁してほしい。「6月=水無月」では困ってしまう、わがままな筆者であった。(もちろん、首都圏のダムの貯水量が減って、水不足だ何だというのも困りものではあるが。)

 第23話では駆け出し当時の理事会の話を紹介したが、あれから早いもので7カ月以上が経ち、筆者も今ではすっかり一理事としてどっかり腰を据えている感がある。(あくまでお世話係のようなものだから、基本的には至って謙虚でいるつもりなのだが、何だか偉そうな表現になってしまった?)

 6月の総会でいよいよ理事会が交代になる。早い気もするが、実はすでにその準備は始まっている。実質的に7月から始めて6月に終える任期なので、現時点で4分の3を消化したことになり、残り4分の1を総会と次期理事会への引き継ぎ準備に充てることになる。まあこれが常識的な線なのだろう。日常の理事会活動に加え、総会の議案作りや収支の点検作業が進む今日この頃である。筆者担当の「管理組合だより」も第9号を数え、確かに4分の3まで来てしまった。ちょっと寂しい気もするが、残り3号分、張り切ってマンション住民の皆さんにお届けしようと思う。

 筆者提案の「あげます情報」コーナーや本のリサイクルコーナーも設置されてから結構日が経った。おかげさまで軌道に乗っている。最近は一時期に比べてトラブルらしいトラブルもなく、至って平穏なのでありがたい限り。理事会の議事録や管理組合だよりもそれを反映しておとなしいものである。マンション住民一体の理解や協力がなければ成り立たないのが、マンションでの生活。それをつくづく感じる。

 またまた、この際なので、3月の理事会での議事の一端を紹介してみようと思う。(現状の穏やかさを反映しているかどうか?!)

  1. 報告事項
    1)エレベータ内 担架運搬用トランクスペース
    ・左側エレベータに、救急用の担架を収納するトランクスペースがある。通常は施錠してあるが、緊急時には使用可能なので、その旨、管理組合だよりに掲載する。
    2)駐車場の鳥のフン害
    ・業者の作業により、鳥が集まる木の剪定と草刈りを行った。
    ・鳥のフンの被害に遭った方には、作業を行った旨、説明し、了解をいただいた。
    3)西通用門門扉の修理
    ・強風時にビス(止め具)が飛んでしまったため、補強修理を東西両方行った。現在は開閉良好である。
  2. 審議事項
    1)防災訓練
    ・「防災訓練開催のお知らせ」を作成し、掲示板とエレベータ前に貼り出すことにした。
    ・防災訓練時に、防災用品倉庫の内容物を確認することとした。
    2)駐輪場
    ・次期理事会への申し送り事項とするが、駐輪場の有り様について検討が必要とする意見が出された。
    ・所定の場所への駐輪を徹底するよう、今後も周知していく。

 この他には、総会に向けた話を中心に、残りの理事会の日程調整などがなされた。以前なら、組合だよりで注意喚起する事項が多く出されたのに、今回は駐輪場と整列駐輪に関する件程度。しかしそれだけでは組合だよりは成り立たないので、他に2.1)の防災訓練の報告を盛り込むことにした。

 3月28日は、冬日に逆戻りしたような肌寒さ。薄日は射しても、全く気温が上がらない。日曜日の春うららな朝ならまだしも、こう寒くては出足が鈍るのも致し方ない。こんなコンディションの中だったが、防災訓練は行われた。地元 赤羽台消防署の方を迎えて、オイルパンを燃やしての初期消火訓練、そしてマンション火災をテーマにした映画の上映会の2本立ての防災訓練。参加者は理事会メンバーを併せて20名以上。時間にして1時間強のシンプルなものだった。組合だよりに載せるため、消火訓練の模様を写すのに気をとられがちだったが、しっかり消火器の操作手順もおさらいできたし、署員の方の話も十分聞きとめることができた。組合だよりには、その話と映画での説明などをふまえ、下記のような防災上の啓発文を載せることにした。まだまだ火事の油断ならない時節柄、参考にしていただければ幸いである。

  1. 消火器について
    ・日頃から消火器本体のラベルに目を通し、使い方や使用条件を確かめておきます。(館内に配備されている消火器は、薬剤重量3㎏、放射可能時間14秒、放射距離3~5mになっています。)
    ・使い方の手順は、①安全ピンを引き抜く。②ノズルを燃えている物(火元)に向ける。③レバーをにぎる。この3つです。
    ・薬剤の粉が吹き出て止まらない場合、消火器を逆さにすれば止まります。
  2. マンション火災時の注意
    ・消火器がなくても、浴槽の残り湯など消火できる手段を駆使して初期消火に努めます。
    ・初期消火で消し止められなかった場合、あわてずに119番通報します。
    ・日頃から避難経路を確認しておきましょう。又、ベランダには通行を妨げるような物を置かないようにしましょう。
    ・火災発生時は、玄関や窓は開け放しにせず、必ず閉めてから避難します。(煙の広がりや延焼を最小限にするためです。)
    ・どんな状況であっても、地上へ向って避難します。その際、エレベータは絶対に使ってはいけません。

 ひょんなことから、西武新宿線の新宿から井荻までの回数乗車券を1枚手にしたのだが、なかなか使う機会がなく、とうとう有効期限最終日になってしまった。その日1月29日は、さほど遅くなく帰途につけたので、ここはひとつ新宿線で遠回りして帰ってみよう、ということにした。職場から渋谷まで歩き、山手線に乗る。いつもなら新宿で埼京線に乗り換えるのだが、この日は高田馬場まで乗り通す。これまで高田馬場はホーム端っこの改札しか縁がなかったが、西武線の切符を予め持っているので、乗り換え専用の改札へ堂々と足を運ぶことができる。もちろん西武線用の券売機もあるから、予め切符がなくてもいいのだが、改札に直行できる点で、周囲の通勤常連客に対して気が引けることがないからイイのである。自動改札なので、通勤経路定期券と切符と両方を通さないといけないのだが、その順番は意外にも(先)西武線切符→(後)JRの定期券、だった。順番を間違えるとどうなるのか試してみたいところだったが、せっかくの常連客気分が台無しになる上、帰途を急ぐ方々に迷惑この上ないので、おっかなびっくりだったが、順番に従い入場した。

 さて、西武線 高田馬場駅はホームの全面改良工事中ということもあって、とにかくホーム幅が狭く、並ぶのにも一苦労である。この時点で既に野方に行くことに決めていたので、どこに並んだらいいのかわからないながらも、ひとまず普通列車が来るのを待つ。ホームに降り立ってすぐ拝島行きの急行列車が来たが、あれよあれよで人垣が吸い込まれていくのには驚いた。ふだん乗らないので知らないだけだが、田無・小平方面に帰る人が多いのがよくわかった。閑散としたホームに、閑散とした普通列車が続けて入って来た。10年経っただろうか。学生時代は暇を見つけては、都内・近郊を電車で盛んに移動して楽しんでいた(このおかげで、首都圏はどこにどんな地名があって、何線に乗ればそこに行ける、という鉄道地理にすっかり強くなってしまった)が、西武新宿線の普通列車に乗るのは、多分その当時以来のことと思う。特に用事もないのに、下落合、中井、新井薬師前...実はどの駅も乗り降りしている。駅舎やホームの記憶は薄れても、駅周辺を歩いて、目にしたもの耳にしたものは何となく記憶に残っているから不思議なものである。足を使う、目耳を使う、体験を伴う記憶は強いということだろう。各駅に着く度に周辺地理を思い返しつつ、そんなことを考えるうち、野方に着いた。野方にしても過去に下車したことがあるので、何がしかの記憶がありそうなものだが、なぜかこれといった決定的な記憶がなく、はてこんな商店街、こんな家並みだったかしら、と首をかしげてしまう筆者であった。

 野方は、西武新宿線と環七通りの接点にあたるところ。環七通りと来れば、ラーメン店が軒を連ねるポイントが散在する通り。回数券を手にした当初は、野方に行こうとは全く思い描いていなかったが、野方に行けばそれなりのラーメン店に出くわすだろうから、平日夜なら行ってみてもよさそうだ、と頭の片隅で画策していたのは確かである。とは言え、あてがないので駅前の書店でラーメン店マップを繰ってみる。 ...が、有力な情報は得られず、一軒だけタクシー運転手おすすめの店が環七沿い駅南方にあることをキャッチして、ひとまず環七方面へ向うことにした。途中、帰りの足である赤羽駅行きのバス停留所とバスの通過時間を確認して、情報にあった通りの店先まで来たら、いやはやシャッターが閉まっている。レストラン・飲食店ガイド系の情報はこうした閉店・移店を細かくフォローしていない場合が多いので、またしても?!「ヤラレタ」状態となった。いやいや、この日は違った。第21話で高円寺から赤羽にバスで帰るくだりが出てくるが、過去に何度か野方界隈を車やバスで通る度に目にして気になっていたのが、環七ラーメン店の一つ「野方ホープ」。その「野方ホープ」が反対側の数十メートル先で煌々としているのである。野方駅を降りて環七通りを歩いたことなどないから、もともと正確な場所など知る由もない。それだけにこの巡り合わせは幸運だった。

 さぞ混雑しているかと思いきや、先客は一人だけ。いささか拍子抜けしたが、隣客と肩が触れるような中で食するよりはずっといい。「海苔ラーメン」を注文して席に着く。千駄ヶ谷(明治公園前)には「ホープ軒」があって、そこも業者用容器ごとニンニクが置いてあったが、こっちのホープも同様。かつて三田の慶応大前(今は武蔵小杉?)にあったラーメン二郎もそうだが、膏の多い少ないを指定できるのもホープ軒と同じ。ホープ軒の元祖がどこなのか(「ホープ軒」?「元祖ホープ軒」?)は、実はよくわからないのだが、案外「野方ホープ」かも知れない。器に羽を広げた形で海苔を配したラーメンはしょうゆトンコツ味。ニンニクを少々混ぜるとまた格別である。割り箸でなく、持ち箸なので、少々麺が滑るのはいつものことだが、独特なコシがあるように感じた。(筆者これといってラーメン事情通でも何でもないのだが、多少の違いはわかるつもりでいる。) サービスの半々ライスをつつきながらだったこともあって、時間はかかったが、それはじっくり味わって食べたことの裏返し。二人だった客は、食べ終わる頃には6人増えて、店内いっぱいになっていた。そして客が増える時間を知ってか知らずか、店員も時間に合わせて一人から二人になっていた。常連客が多いのかどうかはわからないが、この賑やかさからして、やはり名物店であることは確かなようだ。

 野方ホープの隣で改装工事をしている店舗があった。後で貼り紙を見て気が付いたが、シャッターが閉まっていたタクシー運転手おすすめの店がここに移ってくることになっている。店の名は「道開」。本には北海道ラーメンが中心となっていたので、野方ホープとの棲み分けはされるだろうけど、何も隣に来なくてもと思ってしまう。次にこの界隈に来るのはいつになるかわからないが、両者とも共存共栄していることを願いたいと思う。

034.jpg 余談ながら、現時点での筆者お好みのラーメン店上位10は左表の通りである。(野方ホープはちょっと及ばず12~20位内といったところ)

 ちょっと気が早いですが、ここらで今年一年をふりかえってみることにしました。筆者の1998年10大ニュースです。手前の話で恐縮ですが、どうかひとつご参考まで。

  1. 職場が変わる
     一部の方にはお知らせしましたが、12月9日を以って「(財)日本環境協会 グリーン購入ネットワーク事務局」へ出向することになりました。(注.転職ではありません) これまで副業?!として携わってきた活動が本業と合流することとなり、今後はやることなすこと、仕事にもなり、市民活動にもなり、といった感じになりそうです。
     今までの仕事は、一言で言えば製造業の裏方にあたるものでした。グリーン購入の対象となる製品・商品は、製造業のあり方を問うものばかりではありませんが、ただ単に「環境にいい・やさしい」製品として捉えるよりも、それがどういった過程で作られたか、を評価に含めて「環境にいい・やさしい」を考えていくとするなら、これまでの業務経験も十分活かし得るものと思っています。
     具体的な仕事としては、日用品や家電品のグリーン度を計るガイドライン作りとそのガイドラインに基づく実測データの一覧化・データベース化がメインになりそうです。他には、ニュースレターの作成やネットワーク会員の方々との情報交換といったところです。
     市民活動に関わる者の視点、一般消費者の視点、消費生活アドバイザーの視点、企業に勤める者としての視点、そしてグリーン購入ネットワーク事務局員としての視点。それぞれをバランスよく総合し、企業・行政・市民の三者の協働ネットワークとしての良さを自分なりに考え、活かしていきたいと思います。(→参考情報:TALISMAN別冊 「特集:グリーン購入」)
  2. 社内での消費生活アドバイザー活動いろいろ
     NEC消費生活アドバイザーネットワーク(NASCAと言います)のホームページを4月に開設しました。(社内限定公開なので、外部からは参照できません。あしからず。) 会社員である前に一人の生活者として考えていただきたいことをあれこれ情報発信しています。 又、社内製品の取扱説明書を審査する「マニュアルコンテスト」活動にも多くの時間を割きました。特に環境保全に関する審査項目については力が入ってます。(第11話参照)
  3. 自宅マンション管理組合での理事会活動
     これは第23話に書いた通りです。筆者提案による最近の成果は、読まなくなった本のリサイクルコーナーの開設とマンション内での「あげます」情報掲示コーナーの設置といったところでしょうか。これから年末年始を迎えるので、その手の行事でまたいろいろ駆り出されそうです。
  4. アースデイニュース活動本格化
     これまで間接的にお手伝いしていたアースデイニュースでしたが、ひょんなことからニュース編集チームに本格的に加わることになり、名ばかりですが、編集チーフを担当することになりました。今年は当初予定通り、第8号まで発行でき、自分なりにはまずまずの出来だったと思ってます。アースデイホームページへのニュースの掲載も専ら自宅で行い、よりタイムリーにお届けできるようになりました。1999年版は「アースデイ2000」を視野に入れ、多角的かつ新しい発想を採り入れた誌面作りをめざすつもりです。(現在、その企画書を考案中です。何かご意見ご提案があればお寄せくださいね。)
  5. 電子情報通信学会にて論文を発表
     第10話で書きましたが、自社パーソナル用モデム製品について、客先から注文を受けて、実際に納品するまでの業務フローを「業務モデリング手法」によって調査・研究したものを学会で発表させてもらいました。学会と言っても大がかりなものでなく、至ってアットホームな雰囲気だったのがまた良かったです。(会場が沖縄だったのもうれしい限りでした。)
  6. 「アースデイ・フェスティバル 1998 in こどもの国」開催
     第15話の通りです。主に筆者がこどもの国でのフェスティバルに関わるようになってからの話を論文にまとめ、社内の論文大会(Ecoセッション:環境ボランティア部門)に応募できたのもちょっとした成果でした。(論文は手直しして、こちらに掲載してあります。)
  7. 国内旅行三昧
     第9話第16話第27話に載せた以外にも、中央高速経由で飛騨方面に出かけたり、11月初頭には家族で奥入瀬・十和田湖・弘前・五能線・秋田・角館の旅に出たりと充実してました。しかし何と言っても最大のヒットは1月の沖縄ツアーでしょうか。
  8. コンサートも充実
     筆者の音楽愛好ぶりはこれまであまり掲載してきませんでしたが、今年はまず7月に角松敏生(第22話)、9月に古内東子、10月は山下達郎("Performance"シリーズでは何と6年半ぶり)と行ってきました。12月23日には再び山下のコンサートに行きます。(ファンクラブ会員の特典が利いて1Fの3列目です。今からとても楽しみ...) 次回「東京モノローグ」第32話では、年始の挨拶方々、当コンサートレポートをお届けする予定です。
  9. アサヒビール(株)殿への取材
     先月、めでたくご結婚なさったM.Oさんの根回しで、浅草・吾妻橋にあるアサヒビール株式会社本社への訪問が実現。アースデイニュースでの「スタイニーボトル特集」取材に応じてもらうことができました。いわゆる環境NGOが大手企業におじゃまし、非公式ながら取材させてもらうということは前例があまりないだけに大変貴重な経験となりました。
  10. 「荒川クリーンエイド'98」北赤羽会場を主催
     第28話に書いた通りです。いよいよ受け持ち地区のスーパー堤防工事が本格化してきてしまったので、これまで通り続けられるかどうかは不透明な状況です。

次.ホームページ開設1周年

 当ホームページをオープンして一年が経ち、おかげさまでアクセス件数も1000件を超えるまでになりました。正月休みを使ってまた手を施し、可能であればYahoo!(ボランティア活動カテゴリあたり)に登録しようと思ってます。

・・・

 皆さんにとっての1998年はいかがでしたか? 今年も残り少なくなってまいりました。忘年会で「年忘れ」もいいですが、やはり一年一年をしっかり刻み留める意味で「刻年会」とか「記年会」と言ったネーミングに代えて、お仲間うちでしっとり年の瀬を過ごされてはどうかと思います。

 どうぞよい年末年始をお迎えください。

 これも異常気象のうちなのだろうか。11月はとうとう傘の出番がなかった。雨らしい雨もなく、ただひたすら晴れの日ばかり。東京の月間降雨量は観測史上最低だったとか言うから尋常でない。獅子座流星群を待つ11月17日の日中は何となく雨っぽい天気で、流星群を拝めないのではないかとやきもきさせられたが、その日を除いては本当に雨を見なかった。夏場、特に大雨が続いた時期など、室内の湿度は85%まで記録していたのに、ここんとこすっかり乾燥してしまって40%を切っている。異常乾燥注意報状態である。

 てな訳で、この11月は晴れた空・寒空が印象に残る月になった。11月9日は11月1日に開通したばかりの品川駅の東西連絡通路(レインボーロード)を仕事のついでに見に行ったが、駅東口にあたる港南口から見た品川インターシティの白銀の高層ビルが晴れた空によく映えていた。カメラを持ち合わせていなかったのが何とも悔やまれる。11月10日は会社帰りに新宿に直行し、東京都による「NPO法人設立申請手続説明会」を傍聴(実は都が発行した体裁の良いガイドブックを入手するのが主目的)しに都庁・都民ホールへ出向いたが、やはり晴れた夜空に都庁舎のシルエットが鮮明だったのを思い出す。11月15日は身内の晴れの祝い事で横浜みなとみらいへ足を運んだが、この日はおあつらえむきの晴天で雲一つない。大安の日曜日だったとは言え、門出を寿ぐ実に見事な青空だった。ランドマークタワーが立冬の陽射しを受けて燦然としていたのが印象的だった。

 11月18日の獅子座流星群当日の深夜は、時折雲は出たものの観測ピーク時間の3~5時台は総じて澄んだ夜空に恵まれた。4時15分の尾の長い流星(爆発後の流星痕を伴う大きなもの)をはじめ、火の玉状の流星など合計10~15は見ることができた。2~3等星程度までしか見えない都会の空にしてはよく観測できた方だと思う。11月18日は流星群に備えて?!休暇をとっていたので、早寝→流星群→仮眠→遅起き、だった。午後は会社製品の取扱説明書のコンテストに備えた会議(直接的な業務ではないので休暇をとって臨んでいる)に出ることになっていたので、私的に自由なのは午前中ということになる。

981118.jpg この日は京浜急行の羽田空港駅の開業初日だったので、起きて早速、品川をめざす。京浜急行の急行列車で空港行きに乗り、20数分。羽田空港駅に降り着いた。(スピードが速い分、モノレールよりも快適なようだ。)

haneda981118.jpg さて、羽田空港駅はそこそこで、隣駅の天空橋(旧羽田駅)にも寄ってみた。地下の駅から地上に出ると空港が見渡せる。出入口にある「天空橋」の駅名表示板が飛行機が行き交う晴れた空によくマッチしていた。(何でも駅近くにある歩道橋が天空橋なので、それを駅名にあてたというから安易な感じもするが、ともあれいい駅名である。)

 11月26日夜は「アースデイ2000」の意見交換会で、神田・小川町の東京YMCAへ。帰途、アースデイ仲間とお茶の水駅まで歩いた時に見上げた夜空も晴れていた。寒さが増してきている分、凛とした感じを受ける空だった。

 そして11月28日。四谷駅からアースデイの東京連絡所までいつもの新宿通りを歩く。この日は朝から気温が高く、小春日和である。中国国家主席が来訪中ということで厳戒体制が敷かれていたが、うらあたたかな晴れた中ではいかめしさも和らぐから、緊張感なく歩けてありがたい。これで冷たい雨でも降るどんよりとした日柄だったら、さぞ厳戒ムードも高まるだろうと思われる。今年最終号のアースデイニュースの発送大会を終えると午後の4時。外に出ると午前中の暖かさが嘘のように寒々としている。当ホームページがお世話になっているJCA-NETの代表と幹部のご両人の結婚パーティ(正式名称は「二人を肴に飲んで祝おう会」)がこのあと6時からあって、筆者は何の因果かBGM担当になってしまったので、早めに会場のクレヨンハウスに向かうことにした。表参道に着くと、いよいよ寒さが本格化して、着込んでいたちょっと厚手のハーフコートが役に立った。(午前中は、こんなの着てこなくてよかったのに、と思っていたのだが...) 暗くなりかけた表参道と道沿いの並木は、木枯らし吹く寒空によく溶け込んでいて季節の風情を醸し出していた。寒いのは言うまでもないのだが、その情感に浸るのが何とも心地よく、早足を止めて、ゆっくり時間をかけて会場に向かったのだった。

 日常のできごとを天候と結び付けて語ることはあまりないのだが、それだけこの11月は常に晴天と寒空がご一緒だった、という訳である。12月の気象は変化あるものになるだろうか。雨も恋しいが、雪が降ればなお楽しい。そんな思いの12月初日である。 ...いよいよ今年も残すとこあと1カ月。

 ☆「東京モノローグ」おかげさまで1周年!

 東京都23区唯一の造り酒屋がある。「小山酒造」と言って、筆者の地元、赤羽の岩淵町にある。明治11年の創業時に、当時東京市北端のこの地に地下約130メートルの深さまで井戸を掘り貫き、その井戸水を使って酒造りを始めたという。都内の地酒としての名高さに加え、そうした創業者の先見性でも有名な小山酒造。近所にありながら、なかなか訪れる機会がなかったが、飲み友達?!のS夫妻のリクエストもあって、めでたく見学に行くことができた。こういうことは何事も然るべききっかけが必要なものだ。

980912_2.jpg 埼玉県の境近く、新荒川大橋の手前にある。これまで前を通ることは何度かあったが、中に入るのは当然初めて。入口には日本橋から通じる岩槻街道の人馬宿があったことを示す趾碑があり、見上げれば歴史を感じさせる重厚な母屋、そして奥には酒蔵の棟が連なる。東京にあるとは思えない風情を醸し出している。名所と言われる所以である。北区のケーブルテレビで赤羽の特集番組が放送されていたが、その中で小山酒造を紹介する場面で出演していたと同じ、案内役は小山家代々の若い後継ぎの兄さんである。どことなく顔に覚えがあると思ったら、テレビで見て知っていた訳である。実際の酒造りのシーズンではないため、単なる施設見学のような形となったが、ビール工場のようなマスプロ型装置産業ではないから、目新しくもあるし、何より手作りの良さが実感できる。とは言っても、旧来の手作り式の道具と、近代的な機械式のものとが全体的には半々で配されているようだ。手作りでは味わいある酒ができ、機械ではさらっとした仕上がりになる、ということである。パンフレットを時折見やりながら、工程に沿って案内は進む。

  1. 精米・洗米・蒸米
     キーンという高周波の音が断続的に鳴る倉。ここは米の貯蔵場ゆえ、ネズミが侵入しないようネズミ除けの音を出しているのだそうだ。一角には例の地下130メートルから水を汲み上げるポンプもある。複数のパイプが通り、バルブが付いている。場内の水は全てこの地下水で賄われているので、こうした設備になるのだろう。井戸か何かを想像していたので、ちょっと面食らった。しかし、水は秩父山系の水に雨水が加わったもので、微生物による自然浄化に頼っただけの正しく天然水である。その水を使い、酒の原料米を精白し、洗い、蒸すという訳である。ところで、小山酒造で上等の酒を造る場合、米は65%まで削るのだそうだ。精米時に米を削るという工程があるとはこの時まで知らなかったので興味深かった。
  2. 麹造り・酒母造り
     大きな倉へ通され、中に入っていくと酒の匂いが漂ってくる。太い木の梁が通る古式ゆかしい倉なので酒の匂いと相まって実に趣深い。そこに巨大なタンクが肩を並べる。「灘琺瑯(株)東京工場」製、8,000㍑級の立派なものである。昭和30年以前は木製だったので、漏れを防ぐのが大変だったというから、琺瑯に替えたのはもっともな話である。しかしこのタンクもよく見ると昭和30~40年代製だから、30年以上も使い込んでいることになる。おそれいった。そのタンクでは、仕込みの前段階である麹米と酵母が造られていた。
  3. 仕込み
     さらに奥へ入ると、同様のタンク、しかしそれぞれに銘柄分けされたものが並んでいた。今は「醗酵自動温度制御監視」機で、最適の仕込みができるようになっている。各タンクの温度がデジタル表示され、ボタン操作で調節できるようになっているというから、ビックリである。ともかく醗酵を強めて↑弱めて↓、を繰り返し、3段仕込みという製法で仕込んでいくのだそうだ。約25日かけて、その仕込みが終わると、1日のうちに醗酵してアルコール分ができる。そして一定の温度で酒の主成分である「もろみ」を育てていく。タンクには細いパイプが巡らされていて、5℃の水が通してある。この時期、夏場は熟成期間なので、低温でじっくりやるんだとか。秋口には出荷されるが、もうひと眠りといったところだろうか。
  4. 圧搾・濾過・火入れ
     もろみを圧搾機にかける。ここで、新酒と酒粕に分離する、ということだが、今はその時期ではないので静止した機械を見るのみ。タンクを横に寝かして蛇腹状に板をはめ込んだような形である。それが終わるとさらに濾過して精製、ということになる。濾過にも昔ながらの濾紙と炭粉を使う方法と、中空紙を使った機械式とがあるそうだ。手作りの良さが随所で息づいていて、機械とも巧く共存していることを感じる。ちなみに圧搾には、ひと昔前は麻袋を使っていたと言う。火入れの現場にはお目にかかれなかったが、これは言うなれば低温殺菌である。
  5. 貯蔵・調合
     最後は貯蔵タンクに入れられ、密閉される。これが貯蔵。調合は市販の規格品にするための処理。工程順ではこれで終わりになるが、今回の見学では貯蔵・調合の見学の代わりに、締めくくりはやはり試飲。これがなければ来た甲斐がない訳だが、いやはや大サービスだったので、実にありがたかった。

 まずは特製地下水の氷水。ヨーロッパと同じ、この水は硬水なのだそうだ。混じり気なしで含蓄がある、呑み応えたっぷりの水である。5年ほど前までは、この井戸水を一般に提供できるようにしていたそうだが、評判を聞きつけて、タンクローリーで水を失敬する不届き者が現れたそうで、それ以来やめてしまったとか。水を汲み上げるのに、一般水道より経費がかかっていると言うのだから、ここで飲むことができたのは何とも幸せなことだと思った。

980912_1.jpg 喉を潤した後は、3つ続けての利き酒である。生貯蔵酒に始まり、定番「丸真正宗(吟醸)」、そして吟醸酒「吟の舞」の順。丸真正宗は一升ビン入りのをこれまで呑んできたので、その辛口具合というものになじみがあったが、ここで出された酒はいずれも辛口であるはずなのにどこかしら甘い。その訳を尋ねると、とにかく冷やすと甘くなる、これは舌が騙されるため、なのだそうだ。筆者、特に酒の事情通という訳でも何でもないのだが、とにかくいいことを聞いたものだと思った。さてさて、この後だが、なんと「実験酒」なるものが出てきて、聞くと山田錦の米を60%まで削り、吟醸したものと言う。前出の3種の酒と異なり、何ともふくよかな味わいである。丹精込めた酒なので、「500mlで5,000円!」とおっしゃる。値段を聞いてついゴクリと呑み下してしまった。いやはや惜しいことをした。

 利き酒の一室には、栄えある賞状の数々と小山酒造製の全銘柄がズラリ。丸真正宗とその他若干の銘柄しか知らなかったので、ただただ感歎するばかり。酒造工場の隣には、小山酒店があって、ここに来れば大部分の銘柄が手に取れる。利き酒で結構酔いが回りつつも、しっかり物色して、大吟醸の小ビンを買い求めた。S夫妻が一升ビンを買ったのは言うまでもないことである。見学・試飲の後は放っておいたってお店へ足を運ぶことになる、これは実によくできた仕掛けである。

 誇れる名所が地元にあるというのはいいものである。次に来るのは、実際の酒造りが始まる11月以降ということになりそうだ。

 分譲マンションには管理組合がある。一戸を自家として所有すると、その世帯主は管理組合に属することになるから、組合員ということになる。会社だと管理職になる前は、労働組合に入る人もいるから、やはり組合員。これで生協にも加入していたら、ここでも組合員である。日本的とも言える代物だが、組合が一大メンバーシップであることには違いない。(メンバーシップ以前に、個人としてのIDをまず確立したいものである、とはいつも思うことである。どこかのメンバーでなければいられない、つまり所属することでIDを満たそうとするのはいただけない感じがする。)

 さて、筆者もそんなこんなでマンションの管理組合員の一員であるが、組合員だけでは済まないもの。管理組合では理事会というものを組織する必要がある。入居したての時は、自分が早々に理事会のメンバーになることはまずないだろう、というのも、そうした世話役的な役割は相応の年令の人が務めるものとタカをくくっていたからそう思っていたのだが、ひょんなことからマンション管理人さんのご推薦などを仰ぎ、今夏から向こう一年、理事会に加えさせてもらうことになった。(「荒川クリーンエイド」の参加を掲示板でよびかけたり、組合の会合でいろいろ発言したりしたのがひっかかったらしい?) もちろん理事長・副理事長は務まらないから、施設、植栽、町会といった一般的な役回りを互選することになるのだが、自宅にパソコンがある、という理由もあって、書記+広報、ということで落着した。これでまた一つボランティアワークが増え、ありがたい限り?!である。

 月1回ペースで理事会が開かれる。これまで2回理事会があったが、前期の理事会からの持ち越しの案件がいろいろあって、今のところ引継業務の処理といった感じである。ともあれこっちは書記担当なので、会での議事をひたすら書き留めるばかり。これまでもマンションの自治という自己意識から、共用部分で気になることがあると管理人さんに言ったり、会合で発言したりしていたが、理事ともなると不思議とまた一層、意識に違いが出てくるものである。余計なお世話かも知れないが、例えば、ゴミ集積所の出入口付近のゴミストッカがいっぱいになる(出入口の近くからいっぱいになってしまうのは、人間の習性と言えようか)と、空のストッカを引っ張ってきて、ゴミを捨てやすくしてみたり、勝手に投函されるビラやチラシを処分する専用のゴミ箱があるが、その周りに紙屑が散らかっていると、それを片づけてみたり、といった具合でひそひそやっている。紙屑の方は、少しは甲斐があって最近は散らかることがなくなってきたが、ゴミ集積所の方は相変わらずである。別に出入口付近からたまっていくのが悪いと言うのではなく、ゴミ量が多いのがどうも気になるのである。集積所と言っても、独立した建物になっているので、鍵さえあれば24時間いつでも捨てに行ける、という気軽さもあって、ゴミを捨てることに対する負の意識が低くなっているのではないかと考えてしまう。理事となったからには、ゴミの削減をよびかけるのも許されるものかな、と思っているが、まずは古本やまだ使えそうな家財をリサイクルする提言が先、とも考えている。書き留めるばかりでなく、そろそろ余計なお世話根性を発揮して、新理事会ならではの施策を打ち出したいものだと思う。

 この際なので、理事会での議事の一端を紹介してみようと思う。筆者にとっても、地域やマンション生活の日常が知れて面白いぞ、と感じている理事会。こうして書き出してみると、確かに面白い?

  1. 諏訪神社大祭への参加
    ・大祭への参加申込が、小学生10名、未就学児童2名から届いている。
    ・こどもによる神輿かつぎは、8/22と23の両日。大人は、8/23(12:00~)のみ。
    ・半纏は50着分、支給されるが、その他の用品(鉢巻き、手ぬぐい、さらし、足袋等)は自分で用意する?
  2. プレイロットの凹凸補修
    ・凹凸を補修する工事方法が不明確だったため、工事会社に電話で確認したところ、特に凹みが激しい箇所は、砂を入れた上で「転圧」し、地面を固めてならしてから、荒砂を敷く、とのことだった。
    ・こどもが砂で遊ぶのは致し方ないことなので、砂場を作るなどしたいところだが、砂場は管理が大変なので設置は難しい。
    ・鉄棒の下は特に凹みが激しいので、盛り土をしたり、木材を埋めるなどして強化することも考えたい。
  3. 植栽のアーチ
    ・プレイロット周縁の植栽にアーチ(柵)を新たに設ける場合、2.の工事業者ではなく、出入りの植栽業者に依頼することにする。
  4. 未登録自転車対策
    ・9/30までに登録を済ませるよう全戸に通知を出し、10月になったら、一カ所に移動させた上で、未登録自転車を撤去するようにする。
    ・自転車に関する注意啓発は、繰り返し行なう必要あり。組合だよりや単発のチラシでよびかける他、各階懇談会でも話をする。
  5. 通路(廊下)のルール
    ・組合だよりでの注意喚起にもかかわらず、エントランスの乗り入れ・走り抜けが後を絶たない。三輪車を含め、引き続き注意を促す。
    ・理事会で館内巡回を実施したところ、通路上に放置している自転車は見かけなかったが、特定階ではまだ物を放置している所が見受けられた。
    ・通路の共用に関する注意も定期的に行なうようにする。

 今月の理事会ではこの他に、カラス害がなくなった話、信号機設置に向けて署名を集めようという話、大規模修繕計画に関する提案説明、防火管理者講習会の話などが出た。そして筆者提案であるリサイクル品の情報交換「あげます・ください」掲示板の話も何となく採り上げてもらった。(次回でもっと具体化させようと思う。) 書記+広報ということで、これら議事を理事会用の議事録としてまとめる一方、それが終わると館内全戸に配布する「管理組合だより」に議事をアレンジして諸注意やよびかけ文を載せるという作業が待っている。ワープロ作業は手慣れているとは言え、ちょっとした労働だとは思う。

 10月には流域一斉開催の「荒川クリーンエイド98」が控えている。ここは広報の特権として、管理組合だよりで参加よびかけを行なうつもりで考えている。もちろん、来月の理事会でまず話題にする必要があるけれど。

☆今回から、毎月1日・15日の発行に変更します。'97.12.30発行分は'98. 1. 1になります。

 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 この場を借りて、筆者の1997年10大ニュースを紹介させていただくことにしました。手前の話で恐縮ですが、参考までご覧ください。

 1.消費生活アドバイザーになる。

 僭越ながら、受験資格最低年令で合格。現在、社内のアドバイザー諸氏と協働作業でホームページの作成等に関わっています。この資格のおかげで、社外での活動が多少仕事に生かせるようになりました。

 2.自宅用Eメールとホームページを開設。

 自宅で初めてデスクトップPCを導入。(今までは5年前のノートPCでした) インターネット環境をようやく自宅で整えることができました。ホームページ「エコロジカルなボランティアを考える」はひととおりのメニューが出そろいましたが、より磨きをかけてから、各検索エンジンに登録していくつもりです。

 3.2つのアースデイ・フェスティバル(こどもの国、代々木公園)を開催。

 こどもの国でのアースデイ・フェスティバルはこれまでの総力をかけて、幕の内弁当的なイベントにしました。太陽光風力発電デモ、NOxの測定、8つの環境教育団体によるワークショップ、合宿スタイルの環境教育リーダー養成講座、2つの劇団によるエコロジカルなお芝居、紫外線対策水着ショー、非木材紙スタンプラリー、これに重油事故の展示なんかもそろえて、そりゃあもう...(今年はその去年の反動でスタートが遅れています。どうなることやら。)

 4.オーストラリア旅行

 メルボルンにあるNECオーストラリアを見学がてら、2月半ばに1週間程行ってきました。南十字星や南の天の川など南天の星空に息を呑んだことと、南氷洋を拝めることができたのが何よりの想い出です。

 5.列島縦横エコリレー、東京→神奈川、京都を応援。

 「東京モノローグ」第5話第6話をご覧ください。

 6.「荒川クリーンエイド'97」北赤羽会場を主催。

 30名の方に参加していただき、多量のゴミを拾うことができました。地元の植物に詳しい方からいろいろレクチャーしてもらえたのも収穫でした。

 7.「エコ・ボランティアきっかけ講座

 環境事業団主催の同名の講座に、講師として招かれ、「仕事をしながら環境保護のボランティア活動に関わるには...」などと言うおそれ多い話をしてきました。夢中だったので、与えられた30分あっという間でしたが、貴重な経験を得ることができました。

 8.ネイチャーゲーム初級指導員になる。

 今まで、「環境教育がどうの」と言っているわりには、体験<理論だったことを反省し、自分でネイチャーゲームを実践できるようにしよう、と言う話になり、「アースデイこどもの国実行委員」3人で受講してきました。今年のアースデイ・フェスティバルは自分達で環境教育ワークショップができるようにしたいものです。

 9.日経新聞の取材

 これは、第7話に書いた通りです。新聞に出たおかげで、職場ではちょっとした話題になりました。

 10.仕事で2つの論文を発表。

 10番目にやっと、仕事の話題です。筆者の勤める会社ではインターネット機器をいろいろ世に出していますが、その中でも特にパーソナル用モデムについて、客先から注文を受けて、実際に納品するまでの業務フローを調査・研究したものを2つの論文(→にまとめ、社内で発表しました。1/23には、電子情報通信学会での発表を控えています。

 次.MXTVの取材

 14chのメトロポリタンテレビから取材を受けました。アースデイ・フェスティバルに密着だったので、実行委員として動かなければならないところ、いろいろ制約を受けてしまい、ちょっと大変でした。

 以上、とりとめなく書きましたが、皆さんにとっての1997年はいかがでしたか? 今年は引き続き、社内外での消費者教育と環境教育(教育というか共育)をテーマに取り組んでいきたいと思います。

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