随筆「東京モノローグ」アーカイブでタグ「イベント」が付けられているもの

☆おかげさまで「東京モノローグ」、4年目に突入です。

 荒川クリーンエイド・フォーラムの委員をやっている都合上、やはり荒川の源流はこの目で見るなり、直に触れるなりしておく必要があろう、とわかっていながらも、正直なところなかなか行く機会がなかった筆者である。9月11日からは台風14号に刺激された前線の影響で東海地方を中心に記録的大雨となり、災禍をもたらしたが、その影響を受ける前の土曜・日曜に出かけられたのは、本当に幸運、というか何かの思し召しだったようにさえ思う。埼玉県にありながら、群馬・長野・山梨・東京に囲まれた県境の、そして川の道・山の道が行き交う村、大滝村をようやく訪ねる。荒川クリーンエイド・フォーラム主催、その名も「大滝村セミナー」である。ここで荒川の水源の話や三峰神社のことを書こうものなら、随筆にとどまらず、○○紀行のようになってしまうので、今回はグッとこらえて?!二日目午前中に作業体験した間伐について記すことにする。

 宿泊したのは埼玉県立 大滝グリーンスクール。この裏手の山林がその間伐体験のフィールドである。わりとラクな作業のように聞いていたので、安直にも半ズボンで臨んだら、とんでもない話で、結構急峻な斜面、かつ枝葉の茂みがところどころ深くなっているような林地だったので、足場が安定せず、下りるのにのっけからひと苦労である。下りきってようやく一息つく。この日は朝から好天だったので、木漏れ日が差し込む感じが心地よい。ふと見上げるとどれもそれなりの高さの杉木である。その木の枝もそれなりの高さのところまで削ぎ落としてあるので、見上げない限り(通常の視線の範囲で)は柱に囲まれたような感じである。見渡す範囲では、さていったいどれが間伐材で、どれを切り倒すのか、皆目見当がつかなかったが、いやはやそのそれなりの高さの杉(直径20cm、樹齢40~50年!)が間伐対象、というから驚いた。筆者はこの時まで、さほど年数の経っていない低木を間引きする=間伐 と大きな勘違いしていたので思わず絶句、である。ヘルメットにナタ、そしてノコギリが各自にあてがわれたので、イヤな予感はしていたのだが、ここからは実に重労働である。初心者なのでちゃんとわかっている訳ではないが、この時教わった手順を記憶の限り書き出してみようと思う。

  1. 残す木と伐採する木を選別する。

     これまでに何本も伐採された後なので、一から手をつける場合とは異なると思うが、それでも育てる木とそうでない木はあって、例えばちょっと幹が傾き気味なものは伐り、隣り合う木で比較して、より枝振りがいい方を残すといった感じで、間伐対象が決まっていく。
  2. 間伐する木の相応の高さにロープをかける。もう一方のロープの端は、上方でつなぎ止める。

     予め長めのロープを用意し、大きめの輪をかけて幹にかける。長い枝や尺などでその輪を人の背丈よりもずっと高い位置に持っていったら輪を縛る。この時の輪の作り方・結び目の作り方は説明しにくい(というか呑み込めなかった)ので省くが、ともかくロープを括り付けておく。一方のロープの端は斜面の上の方でキープしておき、間伐する木が倒れそうになるまで、ひとまず手頃な木の幹に結わえておく。
  3. 「受け口」

     倒れる方向に対し、地面から高さ20cm程のところに、まずはノコギリで3cmばかり水平に切り込んでいく(_で示す)。その切り込んだところの線を下辺にして45°角(/←この角度)で、今度はナタで削り込んでいく。_の3cmの切り込みに/が加わって、受け口になる訳だが、ナタを扱い馴れていない筆者はえらい苦労して"/"が保てるよう作業を続けた。とにかく目標とするところにうまく入っていかないのである。ナタで削り出すと木片が生々しく、痛々しく、どうも心情的に引け目を感じて作業が捗らなかったのかも知れない。
  4. 「追い口」

     受け口ができたら、今度は反対側(倒す力をかける方向)に切り込みを入れる。この時、受け口よりも15~20cm程高い位置から切り込みを入れるのがポイント。受け口と追い口は段違いになる。すでに伐採した後の切り株を見ると、確かに階段状になっているので合点がいった。

     受け口の開く向きも重要だが、追い口も切り込む角度や水平度などによって、倒れる向きが微妙に変わってくるので、とっかかりから切り進むまで慎重さが要求される。ノコギリでギコギコやる訳だが、慎重を期してゆっくりやってもなかなかうまく進まない。一定速度でテンポよくやれればいいのだが、それは熟達した職人技が必要な領域だろう。しかし職人とてうまく進まない時がある。その状態を「渋い」と称するが、渋い時は、先に渡したロープの出番で、倒す方向に沿って上からロープを引くと、追い口にかかる木の重圧が軽くなって、円滑にノコギリが進むようになる。この渋さの原因は、例えば斜面が南向きの場合、木の上部の枝が南に偏って伸びていたりすると、追い口側に枝が集中する故、その重みが加わることも一つにあると言う。
  5. ロープで誘導しながら引き倒す。

     追い口が順調に進むと、木自体の重さで傾き始める。その頃合いを見計らって、すぐさま上方でとめてあったロープの一端を何人かで支え、人為的に倒れる方向を誘導するのに備える。一度傾き出すとあとは加速度的に倒れてしまうので、予めロープをうまく手繰って、都合のよい位置に引き倒すようにしないといけない。(筆者が3本目を引き倒した際、受け口の角度の加減もあったが、狙い通りの場所に倒れず、ヒヤっとさせられた。ケガや事故にもつながるから、重々注意したい。)
  6. 枝を払いながら、2m間隔で切り分ける。

    000910.jpg 倒れた根元の部分から、2m間隔になるよう尺棒で計りながら、ノコギリで印しを付けて切り分けていく。印しは他の人が見てもわかるように、実際に切る部分を中央線にして、その両脇に同じように線を付け、|||のようにする。一本線だけだと、何かのキズと見間違えることもあるから、3本線。「なるほど!」である。

     根元の方はもともと枝がないから、単に切っていくだけだが、上の方はまだまだ枝が残っているので、枝を付け根からナタで刈り落としつつ、ノコギリで切断することになる。さて、この切断作業もノコギリがちゃんとまっすぐにいかなかったり、倒れた後だというのに、何となく渋かったりで、思うように進まない。仰向けの部分を切り進んだら、今度は反対側(うつ伏せの部分)から切っていって、途中で合流する、という方法で切っていって、やっとこさである。
  7. 担ぎ出す。

     切断作業ですでにお疲れモードの身に追い討ちをかけるような搬出作業が待っていた。上の方の丸太が軽いことを知った時は後の祭り。根元の方は木の形状上、やや太くなっているせいもあって、とにかく重い。3人がかりで何とか運び出したが、そもそも丸太には取っ手なんてないから、運びにくいことこの上ない。抱きかかえるようにして、それなりの勾配の斜面を這い上がっていくのだから途方もない作業である(おまけに半ズボンだし、スニーカーも滑るし)。自身の体力のなさ、根性の乏しさを思い知らされた格好となった。トホホ...(-_-)

 若手がこぞって作業したのも関わらず、わりと下の方の木を選んで、切って、運び出したものだから、2本間伐したところで皆ヘトヘトである。若者?!にもキツイ作業と言ったら怒られそうだが。(本稿を書いているうちに、腕やら手の痛みが呼び起こされてしまった。イテテ...)

 3本目はチェンソーの力を借りて、一気の作業である。倒した後で、上の方を切断する際に試しに使わせてもらったが、いわゆるアクセルにあたる部分の加減が難しい。切り進む途中でどうしてもひっかかってしまうのだが、ムリにアクセルをかけたところで空回りするばかり。軽くふかせばいい、と言われても、ひっかかるとついムキになってしまうのが哀しい。ともあれ、3本目の切り出しを終えたところで、今回の体験作業はひとまずおしまいとなった。

 切り出した丸太の樹皮は面白いように剥がれてゆく。ちょうど栗の渋皮がうまく剥けた時や、ゆで卵の殻が薄膜と一緒にきれいに剥けた時と同じような感覚である。この時期(彼岸が過ぎたあたりまで)は剥がしやすいのだそうだ。樹皮を剥ぐと、実に艶やかで美しい。樹液がしっとりと覆っていて、光沢がある。樹皮の方にも樹液がついていて、杉の匂いがほのかに香る。樹液を舐めたら、何となく甘いような渋いような... 五感を使って木を感じるっていうのはこういうことを言うのだろうか、なかなか得難い体験である。

 最後に、間伐体験記念として手頃な厚さで丸太を自分で切って、持ち帰らせてもらった。四苦八苦しながらもチェンソーでバッサリやったので、ノコギリで切るのと違って断面が粗削りである。記念は記念だからまぁよしとして、あとは自分で磨けばいいや。年輪は日が当たっていた部分の間隔が広く、日陰の方ほど密になっている。理科の授業で習った通りだが、こうしてマジマジと見るのも初めてのような気がする。年輪の数を数えると確かに40以上はある。何とも歴史深く趣深い間伐材である。

 東京近県にある山林でこの有様、というかここは体験林なので手入れが行き届いている方だと思うが、同じ大滝村でも手が回らない山林は数多ある。日本全体、特に過疎地の山林に目を向ければ、国有林・民有林問わず、手付かずのまま放置されているケースが大多数だろう。間伐を進め、山林を維持するには、間伐材市場を軌道に乗せることも大事だが、その山林の所有者が自覚を以って手塩にかける努力が欠かせない、とこれはセミナーに合流してくれた地元村会議員さんの言葉である。何しろ、30~40年放っておけば、山林がまるごと資金源になる、というバブルめいた幻想を持っている人がまだまだ多い、というあたり、問題の根は深そうだ。高度経済成長期には堅調な木材需要があったろうから当てはまった話である。今はどうか。仮に立派に育った木があったとしてもどれほどの値打ちがつくのか、疑わしい限りである。下草を刈り、適度に枝打ちし、間伐を着実に行い、間伐材の有効利用を確保し、本当に値打ちのある木を育て・残す。それがひいては森全体を守り、その山林に源を発する川を育み、土や水や空気を涵養することになるのだろう。

 話は変わるが、日本の割り箸は安価な外材が全体の8~9割を占めると聞く。割り箸そのものに国産材しかも間伐材であることがわかる工夫があるなら、それを使うに超したことはない。しかし、間伐材で割り箸を作る生産性や収益性が高いならともかく、外材で出来た割り箸と価格競争を強いられるなら、分が悪いのは明らかだし、間伐材製品とわかったところで、割高なものを選択的に使ってもらうのは現実性に欠ける感じがする。(もちろん価格競争力がつくまで需要を喚起するのも肝要ではあるが。) 学生食堂では強いて割り箸を使うところが増えているようだが、それは果たして正真正銘の間伐材なのか、間伐材だったとしても、刹那的に使い捨てられてしまうなら、環境保護の精神性を損なうことにならないか、とついぞ案じてしまう。(せめて割り箸からパルプ化する運動(米子の王子製紙など)に協力するならまだわかるが...)

 短時間の体験で話をするには僭越ながら、間伐作業は難儀の極みである。難儀したものを安易に使い捨て製品に変えて、使用・消費・廃棄を繰り返せばそれでいいのだろうか。どうせなら多少の労力を割いても集成材化して、家具や建材に変えるなどして、持続性・収益性の高い使途・需要を起こした方がいいのではないだろうか。コストはかかるが、使い捨てにはならないし、精神性も損なわなくて済むように思う。机やイス、床材などを買い替え・交換する機会があったら、間伐材使用のものを選びたいものである。(筆者は、割り箸を使わざるを得ない場面(大皿から取り分ける時・網で肉などを焼く時など)があったら、間伐材とわかればそれを使い、通常の箸を使用する場面では、自前の箸を使うのがベターと心得、ここ10年来実践している。)

 山下達郎のFM番組を聴いていたら、TOKYO FMが開局30周年を記念してスペシャルイベント(コンサート)をやるとの告知が流れ、何とご夫人、竹内まりやが出演し、バックの演奏の指揮(いわゆるバンマス)を達郎氏が行うと言う。しかし、よくよく聴くと竹内単独ではなく、cannaとSING LIKE TALKINGとのジョイントだと言うので、さほど盛り上がらず、チケットも買わず、実は最初は放っておいた筆者であった。その後の番組の告知で、チケット完売?ととれる話が出たので、「ま、今回はいっか」と見送っていたのだが... 時おいて、新宿のとあるチケットショップを覗いてみたら、1枚7,500円のところ、7,000円で売り出されているのを発見。これも何かのご縁、とすっかり色めきだったのだが、7月11日というのが仕事の佳境にぶつかりそうなので、様子を見ることにして、ひとまずお流れ。しばらくしてまた覗いてみたら、今度は一気に6,000円に値下がり(つまり2割引)していたので、仕事はさておき「よし買いだ!」と思ったら、所持金が...。(^^; 日曜日、ちゃんと現金を準備して駆けつけたら、今度は閉店時間を勘違いしていてまたしてもお流れ。という訳で、流れ流れて7月11日(火)当日、午前中は仕事で成増方面に行くことにしたので、その足で新宿に寄り、やっとの思いでGETした、という一波二波のチケット入手劇と相成った。当日まで売れ残っているとなれば6,000円からさらに下がって5,000円か、と仄かな期待もあったが、そこまでは甘くなかった。それでも売れっ子某のプラチナチケット○○万円なんてとんでもないに比べれば何とありがたいことか。

000711.jpg 武道館にはこれまで「EARTH VOICE」という1回限りのジョイントライブ(詳しく書くと長くなるので省略するが、タイトル通り、環境保護をテーマにした半ばチャリティコンサートみたいなものである)と坂本龍一のコンサートで足を運んだくらいで、今回でやっと3回目。何とか仕事の区切りがついていたので、開演時間18時30分の10分前の到着で間に合った。チケットが入手できたのは、天の思し召しといったところだろうか。

 この手のジョイント形式だと、途中で一緒にセッションしてみたり、最後に全員総出で有名曲の合唱、というのがお決まりなのだが、この日のライブはそれぞれが分離(つまり3本立て)していたので、ある意味、良かった。cannaは達郎番組で時々かかっていたので、全く未知ではなかったが、2人組でアコースティック調なので、いま流行の「ゆず」「19」みたいなもの。あまり面白味はなかったが、7曲やって40分。前座にしては長丁場だったので、それなりに力はあるんだと思った。

 お次のSING LIKE TALKINGはボーカルの佐藤竹善がかつての達郎コンサートでバックコーラスをやっている時に見ていた他、SING LIKE TALKING自身、一度ライブに行ってもいいかな、と思っていたくらいなので、期待に違わず楽しめた。ドラムを叩いているのが熟年風のオジサンだったので、「まさか」と思っていたら案の定、村上"ポンタ"秀一氏。心憎い限りである。cannaと比較するのは酷だが、やはりスケール(ボーカルと全員コーラスで聴かせる技量は圧倒的だった)や音の色艶では明らかに差があった。こちらは6曲、50分。

 18時40分過ぎに始まって、3本のうちの2本が終わって20時20分。約20分の休憩中、ひたすらステージ替えが続き、いよいよメインの第Ⅲ部を迎えた。場内の盛り上がりはこれまでとは俄然違っていて、何となく達郎コンサート風のノリ(皆、着席しているが、随所で異様な歓声が上がるというお決まり)になってきたのには正直驚いた。

 さて、一曲一曲文章で書き綴っていくとややこしいので、例の如くまずはリストアップする。(時間はおおよそである。)

20:39
  |  アンフィシアターの夜(V)
20:42
  |  家に帰ろう(Q)
20:47
  |  Forever Friends(Q)
20:53
  |  マンハッタン・キス(Q)
20:57
 (MC)
21:01
  |  五線紙
21:05
 (MC)
21:09
  |  元気を出して(R)
21:14
  |  カムフラージュ
21:19
 (バンドメンバー紹介)
21:26
  |  プラスティック・ラブ(V)
21:32
 (MC)
21:35
  |  駅(R)
21:41
 (Encore)
21:44
  |  リンダ(アカペラ)
21:47
  |  不思議なピーチパイ
(21:49)メドレー
  |  セプテンバー
21:52
  |  J-BOY
21:57
21:58
  |  Let It Be Me(デュエット)
22:00

※V:「VARIETY」(84年)、R:「REQUEST」(87年)、Q:「Quiet Life」(92年)からの選曲。

 1曲目「今夜もお客は満杯~♪」とまさにライブ向けの曲。1984年の「VARIETY」に入っている曲、とまではわかったが、しばらく聴いていなかったので、曲のタイトルがわからず、それを思い起こすのに頭を使っていたら、あっと言う間に2曲目になってしまった。時間を見てわかる通り、1曲あたりの時間が短い(というよりアルバムに入っているのと同じサイズ)なのがわかると思う。これは曲数を優先し、1曲でも多くお聴かせしたい、という本人の意思の表れだったのだろう。堂々の80分、実に14曲である。何しろ、ゲスト出演を除いて、本人のネームでステージに立つのは18年7カ月ぶり、ということだから、相当なブランクである。そんな隔たりを全く感じさせないところが流石。十二分な出来だったことは間違いない。18年の間に出た「VARIETY」「REQUEST」「Quiet Life」の3枚、33曲はこれまでステージでは演奏されたことがない訳だから、どれを演っても初めて。そして旦那の山下がバックを務めるのも初めて。当然夫婦でステージに並んだり、一緒に歌ったりというのも初めて。初モノ尽し、という訳である。よく考えると実に貴重なライブだったと今更ながら感慨頻りである。

 さすがに出だしの何曲かは、歌い出しをトチリかける場面があって、こっちもヒヤヒヤ。最初のMCも堅さが目立って、会場全体がカチコチになってしまった感じだった。某誌でカリスマ主婦として紹介されて苦笑した話、エリック・クラプトンが来日した際、神戸牛をご馳走になった話などしつつ、「口調が達郎調になってしまった」なんていうくだりで会場が沸くとようやく解凍したようで、「五線紙」ではリラックスムード(ゴンチチみたいな感じで実に良かった)、「カムフラージュ」に至っては、すっかり声量が増して、聴き応えがあった。「プラスティック・ラブ」は山下自身がコンサートでカバーしているので、どんな演奏になるかと思ったら、竹内の原曲に忠実な感じになっていたので、達郎本人が演る場合と人のバックで演奏する場合では違うものなんだなぁ、と妙に感心。もちろんギターのカッティングや終わりの方のコーラスのかけあいなどは、達郎バージョンだったが、この曲の後で一休みが入って「駅」になるあたり、抑えが利いた「プラスティック・ラブ」だったことがわかる。(あのまま山下のおなじみ絶叫コーラスでの盛り上がりを活かすなら、ダンサブルな曲(「夢の続き」「COOL DOWN」「今夜はHearty Party」など)を続けて、ノリノリでアンコール、というのも良かったと思う。)

 余談だが、「プラスティック・ラブ」はかつて12inchシングル用?のレコーディングがされて、10分ものロングバージョン(→参考*1985年参照)があるので、ライブではてっきりそういう展開もありかな、と思ったが、結局6分だったのがちょっと残念だった。曲が次々に変わるあたり、歌謡ショー(「竹内まりや オンステージ」)のような印象もあったが、山下のことだから、ともすると1曲あたりを長々とアレンジしたいところをあくまで「バンマス」としてグッとこらえて、18年ぶりにステージに立つ妻への配慮、そして顧客(ファン)へのサービスを優先した結果と考えれば、これは全く以って文句はないのである。

 「不思議なピーチパイ」「セプテンバー」ともにアイドル歌手?!時代のヒット曲だが、達郎アレンジで聴くのは本邦初。昔を知るファンにとってはこれほどのサービスはないだろう。1階アリーナ席は総立ちに近い状態。「J-BOY」はかつてのコンサートでも定番だった曲だから、その盛り上がりようは言うに及ばず。ラストの「Let It Be Me」はEverly Brothersの1960年の曲で、山下・矢野顕子のライブバージョンでは知る人ぞ知るだが、夫婦デュエットはこれまた本邦初。最後の最後にイイのを持ってきたもんだと思い、聴き惚れてしまった。しかし、夫婦並んでみると、ちょっとヒールが高めとは言え、竹内の方がちょっと背高だったので驚いた、山下は172cmの筈だから、竹内も170cmはありそうだ。ともあれ本人を直に見るのは初めてだったが、ジャケットで見るのと同様、モデル体型で見目麗しかったのでかつての「ミス慶應」といのを納得した次第。ただ地声が低音で話し方がちょっと不良っぽいもんだから、女帝よろしく迫力があって、そのギャップがまた面白くもあり...

 全て終わってふと見回すと、女性客の中に涙目の人をちらほら見かけて、このコンサートの重みを改めて実感した筆者であった。「TOKYO FM 開局30周年」に祝意を表しつつ、このコンサート企画に感謝申し上げます。

☆新年、新千年代、あけましておめでとうございます! 引き続き「東京モノローグ」をどうぞよろしく。

 第54話で表参道のイルミネーションが中止になった件を書いた矢先、丸の内で「東京ミレナリオ」なるイルミネーションイベントが開催されることを知った。95年から煌々と神戸でやっている「ルミナリエ」を羨ましく思っていたところだったので、それと同じような造りのミレナリオが東京に現れるとなれば、これは朗報である。

 表参道では、原二商店会など脇道の商店街が涙ぐましくオリジナルのイルミネーションを点していたが、やはり大通りのイルミネーションには比べるべくもない。表参道に毎年流れ込んでいた人波は、今年は散り散りの時を過ごすはずだった。が、丸の内でにわかに復活したことで、そうは行かなくなりそうだ。(仮に表参道と丸の内、両方で開催やっていたら、人工衛星から撮影した東京の夜はさぞ白々となっていただろう。)

millenario.jpg クリスマス前夜と当日は混むのが自明だから敬遠する。一日ずらして、日曜日の26日、点灯開始の18時に東京駅に着くように足を運んでみた。丸の内中央口に来るや、すでに行列ができていて、会場入口まで東京駅前の広場を迂回するような形で牛歩状態である。丸の内線に通じる地下通路を伝って、会場近くの階段出口に出ればいいのはわかっていたが、せっかちに見に行くのも風情がないし、途中で列に加わるのは気が引けるから、とにかく流れに従って静かに歩く。気温がやたら下がっていたので、寒さがちと堪えはしたが、この行列の人いきれに助けられた。ありがたいことだ。

 東京駅正面から二重橋に伸びる大通りまで来ると、遠くに神戸ルミナリエによく似たまばゆいアーチが目に入った。アーチの説明を見ると、

  • 会場:丸の内仲通り「ガレリア」(光の回廊) 約350メートル
  • タイトル:「光の波」(Onda di Luce)
  • アーチの数:22基
  • 高さ:約12メートル
  • 幅:約9.4メートル

 とある。表参道ほどではないが、アーチそのものが荘厳なので、確かに見応えはありそうだ。

991226.jpg これまでのそぞろ歩きが嘘のように、会場の丸の内仲通り内の通行は至ってスムーズなので、拍子抜けである。歩行者用の通路は閉ざされ、見物客は車道のみで一方通行。歩道に出ようとすると制止されるし、脇に寄って写真を撮ろうとすると、停止を禁じるアナウンスが飛び交う。通行に支障が出るような状態でもないのに、混雑必至のイベントでは毎度こんな有様。多くの人は聞き入れる様子もなく、飄々と記念写真を撮っている。こっちもお構いなしで、時折足を停めながら、アーチをじっくり観察させてもらった。煌びやかな電球はよく見ると、金色・黄色・赤・ピンク・緑・青の6色の電球で彩られていて、ステンドグラスのようである。十数万個もの電球を使っているだけあって、実に明るく、行き交う人の笑顔も明るい。イルミネーションはかくあるべき、というお手本のような回廊である。電気がもったいないのは百も承知だが、ここはまあよしとするべきか。

 それにしても350メートルという道程は長いようで短い。22基のアーチも先頭から眺めれば壮観だが、中間を過ぎると迫力が落ちてくる。インパクトというものはそう長くは続かないもので、峠というか一線を過ぎると冷めてしまうから哀しい。ここはともかく参加することに意義があるので、ミレナリオ(「千年祭」の意)に立ち会えたこと、そして千年の変わり目を一応祝えたこと、を重んじたいと思う。

 光の彫刻「パラトゥーラ」。今回のイルミネーションの共通用語である。80年代以降、イタリア、スペイン、フランス、アメリカ等、世界各地を賑わしてきたこのパラトゥーラは、千年に一度の祝祭ということで、東京にやって来て「東京ミレナリオ」は実現した。来年以降も続けばいい風物詩になるのだろうが、あくまで「ミレナリオ」ということなら今回限りか。人々に笑顔を、そして心に仄かな灯りを点す、そんな本来のイルミネーションとしての役割を期待するなら、名前を変えてでも継続してもらいたいものだ。

 2000年を迎えるのに前後して、その一大転機をいったいどうやって過ごしたらいいのかとまどっている人が多いような気がする(筆者も多分に洩れず)。 2000年問題が翳を落としているのは否めないが、こうした粋な祝祭がもっとあちこちで展開されてもいいように思う。もちろんカウントダウンパーティーや年越しライブは多数開催されるが、娯楽性の追求以上に、それに参加することで暦の大きな節目を静かに深く意識できるものが望ましかろう。身辺や社会を見直すいいきっかけにもなると思うのである。2000年代、そして来年以降の21世紀は、いい意味での見直しが進むことを期したい。

 今年の夏は暑かったが、その余韻で秋も暖かかったんだそうな。さすがに12月に入ると、木枯らしが身にしみ始め、数ヶ月前までのそんな暖かさが嘘のように感じるから、季節の循環というのはつくづく偉大だと思う。

991225.jpg この寒々とした季節になると、街のそこここで、ライトアップならぬイルミネーションが目に付き始める。温かみを醸す演出として、また近づくクリスマスを街挙げて祝うための装飾として、それらはなかなか心憎く出来ている。筆者がよく目にするのは通勤路途中の新宿南口タカシマヤ(TIMES SQUARE)にある電飾だが、10月の末頃から設置工事が始まり、かれこれ1カ月以上。草分け的なイルミネーションである。ワイヤで象ったサンタにトナカイ、メルヘン風の小屋、雪だるま等々のクリスマス風物詩に電球を付けたものが毎夜毎夜、ピカピカやっている(エレクトリカルパレードのようなものである)が、カップルを中心に記念撮影する光景がひききらず、すっかりおなじみになった観がある。ちょっとしたハズミで壊れてしまいそうな脆そうな造りなのだが、誰もイタズラしないし、もちろん壊されもしないから、それだけ大事に扱われている(地域に根づいている)のだと思う。

 ここを通ると何となくホッとさせるものがあるのだが、心のどこからか異議が出る。これにかかる電気代は一体いくらで、どこが負担しているのだろう、などと余計なことも考えてしまうのである。銀座ミキモト本店のクリスマスツリーは有名だが、今年は新橋駅のSL広場にある機関車も電飾されたそうだ。この手のネタはいくらでも作り出せるだろうから、例えば、渋谷のハチ公、浜松町駅ホームの小便小僧、上野公園の西郷さんなど。山下公園の氷川丸はもともとライトアップしているが船体に電球を張りめぐらせたら圧巻だろう。とにかくモニュメント的なものは要注意である。

 太陽光で蓄電しておいて、夜に点灯する仕掛けがあってもいいだろう。その日の蓄え具合により、消える時間が不規則になったとしても、それはそれで一興である。どこかにあるかも知れないが、あるとわかれば見に行きたいものである。自然エネルギーなら、より心温まりそうだ。どしどしイルミネーション化してほしいものだと思う。

 筆者職場のあるコスモス青山でも、用意されていたクリスマスツリーに先日、灯りが点った。東京ウィメンズプラザや青山ブックセンター、東京都公園協会や住宅供給公社、そして花やワインの教室まであるこの建物で働く一同(ふだんお互いの交流がないのでちょっと新鮮だった)が集まり、その点灯を見守るというのだから、ちょっとした催しである。式の挨拶の中で聞いて初めて知ったのだが、今年は表参道の一大イルミネーションが中止になったというから耳を疑ってしまった。それ故、このコスモス青山のツリーイルミネーションが風物詩になるだろう、というからちょっと複雑な気分である。

 思い起こすに、昨年は表参道のイルミネーションで、こんな一幕があった。

 クリスマスを迎える風物詩ともなった東京・原宿の表参道のケヤキ並木を彩るイルミネーションをめぐって、地元に住む五十五人が「商店街振興組合原宿シャンゼリゼ会」を相手に、計画の中止と、すでに設置された照明類の撤去などを求める仮処分を東京地裁に申し立てた。...

 これは「年の瀬に激しい交通渋滞を巻き起こすうえ、観光客によるごみの散乱やたばこの投げ捨てなどによって、生活権を侵害されている」という理由による。ちょっと放っておけない。住民側は、(1)排ガスによる空気汚染の助長、(2)タクシーなどで帰宅する際に時間がかかる、(3)見物にきた若者が敷地内にごみを投げ入れる、(4)病気で119番しても救急車の到着が遅れるのではないかと不安になった、等の問題点を挙げ、生活権や環境権などが侵害されたと訴えたのである。

 もともとこのイルミネーションは1991年、「街のイメージアップに」と発案した原宿シャンゼリゼ会が飾り付けを始めたもの。毎年、12月半ばから10日間余りにわたってケヤキ並木をライトアップする慣わしだった。(昨年は12月12日から25日まで、39万個もの電球を使って「98キャスター・イルミネーション・ギャラリー」として実施された。)

 職場がこのシャンゼリゼの近くになったこともあって、昨年は時々足を向けては喜んで眺めていたが、今年はそれが叶わなくなってしまった。(電飾の派手さには懐疑的ではあったが、ちょっと残念ではある。) 1900年代、そして1000年代の最後を飾るに、ここでイルミネーションを点せば、象徴的イベントになったとは思う。そんな憶測もあっただけに、今年のこの開催中止決定には驚きとともに、地元の苦渋・英断を感じさせる出来事と思った。住民側の主張、そして仮処分が通ったことによる中止。地元商店街は経済効果を期待する、しかし一方で住民側は不惻の迷惑を受けてしまう。これは原宿・表参道という場所の特異性(住宅と商店が隣接)もあるだろうけど、似たように商店街と住宅街が何らかのイベントをめぐって対立するケースが有り得ることを示唆している。見物客はそんな事情などどこ吹く風だろうけど、一部の心無い見物客のために、商店街と住宅街の対立を招くことになったとしたら、断罪して然るべきと思う。

 イルミネーションは、街行く人々が共に平和になれる空間を作り出す。派手さはなくてもちょっとしたチカチカで、十分心和むはずである。そんな光景を唄にしたものの一つに、吉田美奈子の「SUNSET」(アルバム「モノクローム」に収録)という曲がある。筆者の好きな一曲である。今回はこの歌詞を記して、筆を措くことにする。(シンプルな歌詞ながら、暖かみと広がりを感じさせるのがポイントである。)

SUNSET.jpg 街に今一つの幕が降りようとしている
 忙しく部屋に帰る人々
 それを止めるようなIllumination
 迷う心のほほえみ 交わす時
 また楽しげなざわめき 舞い込んだ 夕暮れに
 落ちる陽の光に影 長く路にのびて揺らぐ
 通り抜ける雲数知れず なに気なく出会う人に似て
 思いを込め 見上げれば
 美し過ぎるSUNSET!
 心に染み透る
Copyright 1980 by ALFA RECORDS INC. JAPAN

891111-tokorozawa.jpg ちょうど10年前。平成元年11月11日は、正に1並びの最たるものだった。1年11月11日11時11分11秒と来れば、何と1が11並ぶので、駅頭の大型スクリーンではその瞬間、数字を大々的に映し出して、道行く人の注目を集めていたのを思い出す。あいにく筆者はこの日、所沢の先にある狭山ケ丘(まずご縁がない場所である)に新しくできるマンションの見学会に来る車の誘導・整理のバイトなんてのがあったので、その瞬間を大型スクリーンで眺めることはできず、その日の夜のテレビで、その瞬間の再現を観るばかりであった。「次に1が並ぶのは10年後」と聞いて、随分先の話だなぁと思っていたのだが、その10年が経ってしまったのだから、早いものである。

891111-kyodo.jpg  1.11.11を記憶にとどめられればいい、つまり記念乗車券や記念の刻印があれば十分という人も多いだろう。どうしても1が11並んだものを手に入れようとしたところで、乗車券や入場券で時・分・秒までそろえようとするのは至難の技である。(さらに欲を言えば、110円区間の切符で、発券番号も1111...) せいぜい大型スクリーンを見上げながら、その瞬間を大勢の人と共有できればいい、ということになる。さすがの筆者もこの日は観念して、出かけた先の所沢と当時の居所、小田急線経堂駅の1並び記念入場券を買ったにとどめた。だが、どうせ1の付く切符を買うのであれば、1にちなんだ駅のものにすれば良かった、とも思う。東京近郊であれば、東武伊勢崎線の一ノ割、東武越生線の一本松、西武線の一橋学園、JR外房線の上総一ノ宮、といったところだろうか(意外と少ないので驚いた)。まぁそこまでして手に入れようとも思わないが、逆を言えばニーズはある筈である。11.11.11の時はどうだったのだろう? (JR四国では、十と一を組み合わせて、士(サムライ)とするところを土(つち)に見立てて、予土線で土の付く駅の乗車券を組み合わせた記念切符を出したそうな。商魂逞しい限りである。)

meitetsu888.jpg 小田急線も相変わらず、この手の記念切符ビジネスに熱心で、11.11.11も新宿駅などで大売り出し状態だった。小田急線沿線で過ごした年数が長かった筆者の手元には、小田急線のこの手の数字並び切符がいくつかある。しかし、数字の付く駅にもっとこだわっていれば、そんなに集めることもなかったろう。同線で数字が付く駅は代々木八幡程度なので、数字並び切符を小田急が売るのはもともとムリがあるように思う。それに引き替え名鉄などは、8.8.8にちなんで、同線の駅で8の付く三河八橋・八神・八百津の3つの乗車券を組み合わせた巧みな記念切符を出している。(駅の由来まで付いているのがポイント) 記念切符にはこうした知恵・工夫がもっと必要なのではないかとつくづく思う。

 11.11.11に限れば見栄えはするから、何かしら買うなり、押印してもらうなりしても良かったのだが、切符についてはやはり数字と駅名に関連性がほしかったので、今回は特に買わなかった。飯田橋駅が「11(いい)だばし」切符でも出してくれれば買ったかも知れないが、こういうダジャレを思いつくのは筆者くらいなものだろうから、売っていよう筈がない(ちょっと残念ではある)。

900202.jpg 平成2年2月2日2時2分2秒、2年2月22日2時22分22秒、2年3月4日5時6分7秒、平成3年3月3日3時3分3秒については、いずれも渋谷駅のハチ公口の前で、109-②の大型スクリーンを見上げていた、当時はヒマな筆者であった。1並びを見に行けなかった一抹の悔しさがこの執念を生んだと推察するのだが、残念ながら写真として残っているのは、2.2.2.2.2.2だけで、どの時点で中断されてしまったかは定かではない。3並びが実施されなかったのは覚えていて、とにかくやらなくなってからは関心もなく、見に行くこともなくなった。しかし次回の数字並び(これはしばらくないので)数字昇順はと言うと、平成12年3月4日5時6分7秒である。よく考えると、平成年号で1、2、と続くのはもうないだろうから、これは見逃せないかも知れない。大型スクリーンでなくとも秒数をカウントする時計があれば、今のうちに探しておこうと密かに意を決する次第である。

 上期・下期の変わり目はとかくあわただしいものだが、期末=繁忙とは無縁のはずの現職場でこうも多忙(いい意味で)になるとは思いも寄らなかった。9月の最終週は日替わりで、大事な会合あり、作業の〆切あり、出張の準備あり等々。充実していていいのだが、落ち着ける日がなくお手上げ状態。本稿、第50話は一つの節目になるだけに満を持して書こうと思っていたので、出張が明けてからの公開(予告10/5)とさせていただいた訳だが、無理が祟ったか週明けから体調が思わしくなく、火曜日は目眩がして歩くのが困難になってきたので早退する始末。そんな状況下でちと不本意ながら、ともかく50話を迎えることができた。読者の皆さんに感謝しつつ、気持ちを新たに連載を続けることを誓うばかりである。

990929.jpg 何も人が多用な時期に優勝しなくても...という恨めしさは残るが、隠れドラゴンズファンの筆者としては、ともかくうれしい9月30日だった。ただ精神的余裕が乏しくなっていたので、感激もさほど大きくはなかったのである。巨人が負けた時点で確かに優勝はしたものの、同日のヤクルトとの試合に勝って8連勝した時点での優勝決定&監督胴上げの方がインパクトは大きい。その前後にちょうど仕事を終えたので、自転車で神宮球場に足を延ばし、外から「万歳!」の大歓声を聴いたのだが、「あぁ勝ったんだ...」と当たり前のような感情が支配的で、ぐっとくるものがなかった。前日の9月29日は無理やり仕事に区切りをつけ、神宮球場で観戦したのだが、この日は巨人が負けて、ドラゴンズが逆転勝ち。逆転した瞬間、そしてマジックが2つ減って一気に1になったその瞬間を共有できた時の方が感慨深かったのだから、何とも不思議なものである。職場の近在で優勝カウントダウンの試合をやっている以上、これを観に行かない手はあるまい。新聞屋から自由席招待券をもらった時は、「消化試合になっているかも知れないけど、ま、いいや」と思っていただけに、優勝決定前夜のボルテージが最高潮の試合を観戦できたのは、実に幸運だった。(仕事に余裕がある時期だったら、もっと良かった?!)

 マジックがひと桁になってからは優勝まで本当に早かった。巨人が負けない、だがドラゴンズも負けない、という日々が続き、やきもきさせられたものの、マジックが点灯してからひと桁になるまでのもたつきと比べれば、実に加速度的だった。それ故に、マジックが減っていく快感をイマイチ実感できず、優勝して当たり前という思いになっていたのかも知れない。とは言え、試合終了後、沿道の列に加わり、ドラゴンズ一行を乗せたバスを見送った時には、さすがに感極まるものがあった。29日・30日と続けて、その場に居合わせられたのもまた幸運なことである。(最前列に座る星野監督がにこやかに手を振っていたのが何とも良かった。)

 かつて父に連れられ、後楽園球場で巨人×中日戦を観に行ったのは、78年の頃だったろうか。巨人:柴田・高田・シピン・王・張本...、中日:田尾・平野・モッカ・谷沢・大島...の打順だったことは何となく覚えている。中日のバッテリーは堂上と田野倉。1回裏、いきなり柴田・高田に連続ホームランが出て、巨人に押されっぱなしで結局負けてしまったあの試合。名古屋に引っ越してから、ナゴヤ球場で観戦した時も負け試合だった。当時は野球好きでもなかったので、中日が勝っても負けてもどうでも良かったのだが、観に行けば負け試合、というのが続いたので、弱い球団だなぁという印象が強かった。大阪に引っ越した82年。周りが阪神ファンばかりだったこともあって、名古屋からの転校生だった筆者はアウェイな感じ。されど同調して阪神ファンに転向する訳にも行かず、流れで中日を応援することになってしまった。(これが今日のドラゴンズファンの基礎となっている。) ともかくこの年、82年は見事優勝し、弱い球団という印象は去り、鼻高々に過ごすことができたのを記憶している。優勝決定の試合は対大洋ホエールズで、その瞬間をUチャンネルのザラついた画面で見たものだ。

 優勝明け10月1日付のスポーツ紙の一欄に過去4度の優勝時のレギュラーメンバーが載っている。82年は、田尾・平野・モッカ・谷沢・大島・宇野・上川・中尾、主なピッチャーは都・小松・牛島とある。いやはや懐かしい。そして筆者が大学生活に入った翌年の88年、昭和天皇の病状が思わしくなかった頃だったので、いわゆる列島総自粛のあおりで、祝賀会も何もなく、ファンとしては寂しい思いをした。当時のメンバーは、彦野・立浪・ゲーリー・落合・宇野・仁村(弟)・川又・中村、主なピッチャーは小野・小松・郭...。優勝決定の試合は、仙台松島を旅行していた時だった。学生身分としては奮発したのが奏功し、観光ホテルの立派なテレビでその始終を見届けることができたのは良しとしたい。最後は小松が締めくくって胴上げ投手に。早いもので11年前の話である。この間、2位が5回(最後の最後で優勝できなかった96年は特に印象的)だったのだから、ファンとしては辛酸を舐める思いである。確かに弱くはなかった。横浜球場・神宮球場で何回か観戦しているが、小さい頃に観に行った時とは違って、全て勝っている。9月29日も勝ったことだし、これで何連勝だろう、という感じである。

 巨人は財力と人気に物を言わせ、他球団で実績ある選手をかき集めては、消耗品のように使い捨て、という批評を目にするが、大いに首肯できる。中日の強さはプロ野球の本道に従った成果だと思う。ナゴヤドームに対応した小刻みかつ僅差を制するチームを地道にめざし、それを見事に結実させたのだから天晴れである。ここまで来たら、ズバリ日本一をめざしてほしいものだが、ダイエーが日本一になればなったで、相応のセールが始まることだろうから、小市民としては応援しにくいところである。(パ・リーグでどこがひいきかと聞かれたら、ダイエーと答えるかも知れない。) 中日ファンとしては背信的だがここは一つ大目にみていただきたいと思う。

 余談だが、今年大活躍だった関川選手は筆者と同い年。11年前の優勝経験者である立浪選手、そして30日の試合で骨折してしまい、日本シリーズで雄姿を見られないのが残念な山崎選手、みな同い年である。同年の選手が活躍して、優勝を成し遂げたのを見るにつけ、こっちも一念発起しなければ!と思う筆者なのだが、おっとまた目眩が...。

☆新年あけましておめでとうございます。本年も「東京モノローグ」どうぞごひいきに。

 第31話で予告した通り、今回は山下達郎7年ぶりのライブ「Performance'98~99」の模様をお伝えします。何を隠そう83年頃からのファンなので、かれこれ16年。人生の半分近くを達郎サウンドと共に過ごしてきた筆者にとって、この第32話は特に思い入れが強くなっており、99年の年頭に持ってくるのに格好の材料とさせていただきました。いささか長文ですが、ファンの人は言わずもがな、そうでない人もご一読願えればと思います。

 10月8日、府中の森芸術劇場のコンサートツアー初日を堪能したのに続き、12月23日は、ファンクラブ会員枠で優先購入したチケットを手に中野サンプラザへ。中野サンプラザは、山下以外にも佐野元春、EPO、吉田美奈子などで来ているが、山下だけで過去3回来ていて、実に今回で4回目になる。ファン歴16年にして、4回というのはいかにも少ない感じがするが、何せコンサート自体7年ぶりであるのと、82~86年は大阪府在住だったため、中野サンプラザには縁がなかったからである。(これでもファンらしくまじめに通っているのである。念のため。) いわゆる通常のコンサートプログラム(「Performance」シリーズ)を、事前に購入したチケットで、ここサンプラザでちゃんと観るのは初めて。しかも会員特権が効いて1階席の3列目なので実に申し分ない。ありがたい限りである。開場と同時に入り、客席中央にあるPAのパネルやMacのPCなどをのぞきこみながら、3列目の席をめざす。府中の森では会員枠がなかったため、2階席、それもステージ向って右の後方だったので、ステージの細部をチェックすることができなかった。今回は1階席の特典を生かし、席に着く前に、ステージのセットをじっくり拝謁できたのはついでながらうれしいことだった。86年は古いアメリカ調の街角、88年は遊園地、91年は停車場、といった具合で、派手さに加え、ステージをめいっぱいに使った「絵」というか「描画」が展開されるのはお決まりごと。今回はヨーロピアンリゾート風のちょっとオシャレな感じで、「夏だ海だ達郎だ」の80年代前半当時の再現といった印象を受ける。セットの店やホテルの壁面には、本人のポスターの他に、ご伴侶 竹内まりやのものもあって、Detailに対するこだわりをつくづく感じた。ちっちゃな噴水も置いてあるが、これが曲の途中でちゃんと水を噴き上げるようにできているのもさすがである。

 さて、18:30開演のところ、大した遅れもなく、いつものごとく一人多重コーラスのイントロが流れ出した。18:40頃である。客席・ステージとも暗くなり、ぐっと昂揚感が高まる。今回のイントロは、新譜「COZY」に入っている「Fragile」のバックコーラス部分をアレンジしたもの。バンドメンバーがひととおり入ってきた最後尾に達郎の姿が目に入ると会場は一斉に沸き上がる。拍手と喝采の中、しばらくイントロが続く。ここまでは今までのコンサートと同じ。そしていつもなら新譜から何か一つ採り上げて、一曲目になるのだが、多重コーラスの余韻が消え入らぬうちにカッティングギターが静寂を破る。おなじみ「Sparkle」である。新譜から、となればそのまま「Fragile」を歌い出しても良さそうなところだが、通常2曲目に来るこの曲での幕開けに、会場も意表を衝かれたようで、どよめきのような声が上がった。(筆者は、府中の森で既に体験済みだったので、ひょうひょうとしたものである。しかし1階席ということもあってか、音圧の違いを感じ、思わず身震いしてしまった。) ここからは、一曲一曲文章で書き綴っていくときりがないので、まずリストアップする。尚、時間はおおよそのものである。

18:43
 |  Sparkle
18:48
 |  Daydream
18:54
 |  ドーナツソング (挿入...19:01~03 ハンド・クラッピング・ルンバ)
19:04
 |  Paper Doll
19:16
 |  群青の炎
19:26
(MC)
19:32
 |  こぬか雨
19:35
(MC)
19:40
 |  夏の陽
19:46
 |  風の回廊
19:51
 |  潮騒
19:56
(MC)
20:02
 |  Stand by Me
20:05
20:06
 |  Close Your Eyes
20:09
20:10
 |  Chapel of Dreams
20:12
 |  煙が目にしみる
20:17
 |  White Christmas
20:18
 |  クリスマス・イブ
20:24
 |  蒼氓
20:37
 |  Get Back in Love
20:43
(MC)
21:02
 |  メリー・ゴー・ラウンド
21:07
 |  Let's Dance Baby
21:16
 |  Loveland, Island
21:25
(Encore)
21:29
 |  パレード
21:34
 |  Funky Flushin'~
21:37
 |  硝子の少年~
21:39
 |  Bomber~
21:42
 |  Funky Flushin'
21:45
 |  RIDE ON TIME
21:56
21:57
 |  Your Eyes
22:01

981223.jpg 山下達郎のコンサートは1曲の長さもさることながら、とにかく全体を通して長い。「Performance'98~99」は全48本。この日で28本目になるが、東京に戻ってきて最初だったということもあって、里帰り感覚もあってか随所で盛り上がり、今回も3時間半に迫る長丁場となった。チケット代「7,500円は高い」と正直思っていたが、時間あたりの単価にすれば、他のアーティストの公演と同等。演奏者のクオリティはもちろん、セットの豪華さも考え合わせればむしろお得である。盛り上げ方もツボを得ているし、何よりファンサービスたっぷりなのがうれしい。常連のファンでないとわからないテイストもあるが、はじめて来る客も十分に楽しめるものと思う。コンサートの観客を顧客とすれば、顧客満足度という点でこれほど高いものを提供できるミュージシャンはそう多くはないだろう。改めてそんなことを感じさせてくれる3時間半だった。

 「Sparkle」はオリジナルとは違うアレンジで毎度演奏されるが、今回は特にしっかり聴かせるアレンジで職人芸ぶりを楽しむことができた。「ドーナツソング」では間奏部分に「ハンド・クラッピング・ルンバ」が入り、会場との一体感が楽しめた。毎回、客を乗せるひと工夫が飛び出すが、この「拍手手拍子」は最高だった。(「ハンド・クラッピング・ルンバ」は大滝詠一の往年の一曲。いわゆるナイアガラ通でないとノリがわからないところがミソである。)

 一人多重コーラスをバックに歌う「アカペラ」はお決まりのメニュー。「Stand by Me」からの3曲は、どれも冥利につきる聞かせぶり。声量・声質ともに衰えを感じさせず、圧巻だった。「クリスマス・イブ」~「蒼氓」~「ゲット・バック・イン・ラブ」の3曲は何と言うか大人のためのヒットメドレーといった感じで心和んだ。

 山下達郎のコンサートは総立ちにならないのが一大特徴。純粋に音を楽しむのであれば、どんなアップテンポの曲であれ、座って聴いていたっていいのである。そんなポリシーを理解した上で来る客が多いから、こっちとしてはありがたいところ。さすがに1階席ともなると盛り上がりがワンランク上(つまり周りはみんなファンクラブ会員だから)であろうから、立ち上がる観客も多いだろうな、と正直冷や冷やしていたが、実際、十八番の「Let's Dance Baby」あたりまで、じっくり聴くことができたのは幸いだった。「メリー・ゴー・ラウンド」の曲中、エレキギターの弦が切れるというハプニングがあったが、達郎本人もそれだけテンションが高まっていたのだろう。このあたりになると、自分でもテンションが高まるのがわかり、こらえきれず踊り出す人が出たのは大いにうなずけた。何せ7年ぶりなので、これまたお決まりのクラッカーが飛び出すかどうか、ちょっと気がかりだったが、全くの心配無用。「Let's Dance Baby」2番の歌い出し「心臓に指鉄砲~」に同調してクラッカーが鳴り渡ると、否応なく会場の一体感は高まるのであった。この曲は洋楽邦楽のいろんなフレーズが差し込まれるのも恒例。今回はアースウィンド&ファイアの「September」が挟まったのが新鮮だった。

 アンコール前後の定番ソングは、全く遜色なく、真骨頂を観る思い。歓声も含めてライブアルバム「JOY」を生で聴いているのと同じ感覚だった。とにかく昔と同じ暖かい歓声があちこちで聞くことができたのは、うれしい限り。ただ、達郎コンサートを知らない人たちがいるのを感じたのは、「LOVELAND,ISLAND」のエンディングで拡声器を使って「~you!」と絶叫する部分と「RIDE ON TIME」でステージ後方に下がってマイクレスで雄叫びする部分(いずれもお決まり)で、純粋に驚きの声が上がったのを聞いてのこと。筆者は慣れたものだが、初めて体験する人にとっては、やはり強烈なインパクトがあるようだ。(今回「RIDE ON TIME」の雄叫びでは余興で銅鑼まで鳴らすという演出ぶり!)

 さて、アンコール後の一曲だが、通例なら新譜から代表的な曲を持ってくる。府中の森では「ドリーミング・ガール」だったので「あぁやっぱり」と納得したが、この日はなんと「パレード」。ライブに乗せやすい曲をラインアップしたということで、こうなったのだろう。続く「Funky Flushin'」からのメドレーで「硝子の少年」が出たのは感動モノだった。(府中の森でも聴いたが、こういうのは何度聴いてもいい。) 国民的なヒット曲はきっちり押さえる、この辺のセンスが顧客満足を高めている要因と思われる。いやぁよかったよかった。

 新譜「COZY」からの曲が少なかったのは、雑誌のインタビュー記事で読んで知っていた(つまり自分で演奏したい曲を中心に編成するという)ので、心づもりはできていたが、今回は「ドリーミング・ガール」も抜けてしまったため、「COZY」全15曲のうち、ライブで演ったのは2曲どまり。やはりちょっと寂しいところ。長野五輪のサブテーマ曲「ヘロン」、隠れた名曲「邂逅」、シングルヒット曲の「Magic Touch」、これに「BLOW」が加われば言うことないのになぁ、と思った。とはいえ、過去の代表曲を網羅しての全26曲。これはベストライブと呼んでいいと思う。

 繰り返しになるが、「Performance」シリーズは7年ぶり(MCでは7年と言えばセミの一生、と本人も苦笑していた)の再演。思えば筆者、この7年の間に2度の転勤、結婚、マイホーム、30才の誕生日と個人的にいろいろ大きなことがあったので、その歳月の重さに感じ入り、ひとしおの感慨を覚えたのであった。だが、前回の「Performance'91」に思いを巡らすと、ついこの間のことのように回想される。つまりそんな7年の本来なら重たい筈のブランクを全く感じさせないすばらしいライブコンサートだった訳である。見事なカムバック(リハビリ中?と本人は言っていたが)と称したい。次はいつお目にかかれるかが気がかりだけど...

 第14話で荒川河川敷の工事についてふれたが、今回のクリーンアップはその工事の影響をもろに受けて、エリアの変更を余儀なくされた。JR東北線と京浜東北線の鉄橋付近から上流にかけて、新河岸川と荒川の間の河川敷を中心にこれまではクリーンアップしていたが、その河川敷をスーパー堤防化する工事がいよいよ始まったためである。まだ立ち入ることはできるが、柵などで一部囲われつつあるし、いずれショベルカーやダンプが入り込むようになれば、土ごと根こそぎ持っていくなり、入れ替えるなりしてしまうであろうから、クリーンアップしたところで、徒労になるのがオチである。一方、荒川赤羽緑地と呼ぶ所以でもあった原っぱは野球場と化してしまい、植物観察の楽しみがなくなってしまった。荒川知水資料館2Fにある「あらかわご意見板」でこのあたりの一連の工事について憂慮を書き残しておいたところ、それに対する返事があって、特に「自生を促すような植生」についても配慮する旨、記されてあったのを思い出す。それはそれとして、やはり広々と自生していたからこそ価値がある訳で、野球場の隅っこではいくら自生を、と言ったところで説得力がない。ともかく今回のクリーンアップは、緑地なき「荒川赤羽緑地」にスポットを当て、野球場とサッカー場に挟まれたJR東北線・京浜東北線鉄橋の下で行うことにした。もともとサッカー場はあったので、週末ともなるとサッカー少年とその家族で賑わう他、スポーツ愛好者が観戦に来たり、鉄橋下が格好の駐車場になっていることから、車で乗り付ける人々が行き来する場所故、マナーの良くない輩がポイ捨てするのを実は何度となく見届けていた。何とか本腰入れて片づけたいものだ、と前から思っていたので、工事のおかげでとりあえず手を付けられたのはよしとすべきかも知れない。

 関係各位への協力よびかけが弱かったせいもあり、今回の参加者は昨年の半分の総勢15名。クリーンアップエリアを変えたこともあり、試行的な展開になったが、手慣れた方々に多く参加してもらえたおかげで、予定していたスケジュール通りに進めることができた。前日の雨で地面がぬかるんでいたり、思いがけず丈の高い草が多かったり、必ずしもコンディションは良くなかったにもかかわらず、相当量のゴミを拾うことができた点もまずまず。ゴミ袋にして合計26(内訳は、燃えるゴミ6袋、燃やせないゴミ14袋、缶5袋、ビン1袋)。収集したゴミは、上位を挙げると、次の通りである。

    1. 飲料缶:269
    2. ペットボトル:124
    3. プラスチック・ビニール片:89
    4. スーパーやコンビニの袋:79
    5. 紙の破片:63
    6. 食品トレイ:49
      弁当やカップめんの容器:49
    7. ガラスやビンの破片:41
    8. 食品や菓子の袋:40
    9. タバコのパッケージ:18

 先述したように、場所柄を反映したような結果となった。飲料缶や小型のペットボトルなどは好例である。しかしながら、意外にもタバコの吸い殻は少なかった。タバコの吸い殻と言えば、全会場合計では必ずトップに来るゴミなので、この結果を見るに、単に拾いそびれたか、土中に紛れてしまったか、と推察し得るのだが、一つ善意に解釈したいと思う。

 さて、変則的な台風とその時の大雨で、荒川も何度か増水したのを目の当たりにしていたので、川岸部分がずっと気にかかっていた。泥道をたどって、草を分け入り、岸にたどり着くと、案の定、水際(干潟ができていた)には種種雑多なゴミが漂着し、散乱していた。余裕があれば、漂着物の品評(ビーチコーミングならぬ「リバーコーミング」?)でもしたいところだが、人手が足りなかったことと、足場が不安定だったこともあって、缶・ペットボトルに限って片づけた。(飲料缶の数が飛び抜けて多いのは、ここで拾った分が多かったせいもある。) しかし、すっきりとできなかったのは何とも惜しまれる。荒川クリーンエイドなので、やはり水際を優先してきれいにすべき、というのを今回は痛感した。

 粗大ゴミは、というと、大型のものは見られなかったものの、やはり丈高な草が生えているところには様々なゴミが捨てられやすいことがよくわかった。粗大ゴミ調査は専任で一人ついてもらったので、後から報告を受ける形にしたが、タイヤ、キャリーカート、自転車、ステレオのスピーカーなどが草地で見つかった。鉄橋下では、テレビ画面の枠、布団、自転車の車輪、ヘルメットなどが見つかり、当地もまたご多分にもれず、の結果となった。缶・ビンの類は拾い終わった後で一斉に数を数えることにしているので、玉入れ競技後のような態である。北区専用の空き缶回収箱に一度ドサっと入れて、袋に入れ直す時に数える。泥のつまった缶は干潟で拾ったものだろう。回収箱でしばらく横たえていたが、その泥の中から、黒い物体が這い出てきた。何と泥にまみれたベンケイガニである。いやはや驚いた。ベンケイと名が付くだけに逞しい。水質調査そっちのけで、皆でしばし雄姿を鑑賞することと相成った。今回のクリーンアップのこれはちょっとしたご褒美といったところだろうか。この日は他にもカエルは出るは、ゲジゲジは出るはで生態観察会?!を兼ねた催しとなった。

 ご参加いただいた皆様、おつかれさま&ありがとうございました。この場を借りてまずは御礼申し上げます。

980510.jpg 5月のこの時期、各社ビール工場での地域貢献型イベントが盛んになる。荒川をはさんで隣市の川口へは自転車で10分もあれば出られるが、川口市は広い。サッポロビールの埼玉工場(川口工場ではない)は川口駅から京浜東北線沿いに北へ数100m先にあるが、ここまでは筆者宅から自転車で早くても20分はかかる。(ちなみに川口のオートレース場だと30分、鳩ヶ谷の中心部近くの市境までだと40分はかかってしまう。) その埼玉工場で「第20回 ビア・フェスティバル埼玉'98」なるものが開催されるというので、出かけてきた。

sapporo98.jpg フェスティバルのチラシに、「空缶5つで粗品と交換」とあるので、悪気はないのだが、他社ビールの空缶(しかもロング缶)を取り混ぜて持って行く。別に飲料の消費性向を調査する訳ではなかったらしく、集めた空缶は某社のプレス機で減容処理のデモに回されていた。粗品はなぜかティッシュ1箱。まぁ資源を再生する意義を伝えたかったんだろうなと思う。ちびっこ広場やらいくつかの出店に混じって、サッポロビールでの環境対策や川口市環境部での取り組みを紹介するコーナーが設けられていた。埼玉工場では、ビール瓶本体のリサイクルばかりでなく、王冠やラベルに到っても、再生に回すということで、ゼロエミッションを達成しているようである。ゴミとなるものはない、と言いつつも、お目当ての試飲用生ビールは当然のことながら紙コップ、会社で出している模擬店の品々もいわゆるスーパーで売っているのと同じ白色のトレイで渡されるから、どれもゴミになってしまう。この手のイベントではどうしてもゴミが大量に出てしまう訳だが、リサイクルできるコップや食器、あるいは野菜や果物の繊維カス等で作った食べられる食器(ビール会社ならビールかすで食器が作れるかも知れない。)で提供すればよいものを、と思う。コップや食器持参で来てもらう、という手もある。割り箸に関しては、決して否定できるものではないが、自前の箸の方が使い慣れているだろうし、おいしく食べられそうなので、持参をよびかけても良さそうだ。(筆者はここ10年程、マイ箸派である。)

 ビールは中ジョッキ程の量が試飲できてしまうので、それだけいただければともかく十分である。午前中、しかも空腹状態だったので、酔いが回るのも早めなようだ。(午前中のアルコールは控えましょう。) さて、試飲の前に「さいたまスーパーアリーナ」紹介コーナーで、「さいたま新都心」のパンフレットを入手したのだが、いわゆる浦和・大宮・与野の三市合併による政令指定都市実現の話は耳にこそすれ、実際にどういった計画が進んでいるのかを示す資料は初見だったので、ビールを忘れてつい夢中になって読んでしまった。あくまで新都心についてのパンフレットなので、合併話については特にふれていないが、県と浦和・大宮・与野の三市の共同による新都心構想・事業になっている、三市、つまり上尾市と伊奈町が関わっていないのが、合併をめぐる裏事情を暗に示しているようで興味深い。基盤整備では、雨水を利用する中水道や地域冷暖房、まちづくりでは、光ファイバーの情報通信網とバリアフリー対応、の記述が目を引く。施設では、「さいたまスーパーアリーナ」の他に、「さいたまひろば(仮)」というのがあるが、気になるのは、ひろばとなる人工地盤一面をケヤキで覆う構想。特にイメージ図を見ると人工地盤とは言え、木の根元や土の部分が極端に狭い、という点である。「空の森」というように階上部分、つまり大地ではないところに森を創る構想なので地面が人工的なのは致し方ないのだろうが、いっそ全てを土で覆い、「空中原っぱ」「空中森林公園」に、というのはやはり現実的ではない?と思う。

 交通はどうか。鉄道に関して言えば、新都心に新駅ができる。そもそも新都心自体、大宮駅南側にあった広大な操車場に手を加えてできるもの故、新駅あっての新都心と言うこともできる。県下トップの人口を有する川口には停まらない宇都宮線・高崎線の列車が停車する、となっているので、下り電車は、赤羽→浦和→新駅→大宮、ということになる。新都心関係者と周辺住民にとっては、便利この上ないが、新駅と大宮の間は至近なので、普通列車の快走感は落ちそうだ。上野~大宮の時間距離も長くなるだろうと思う。それにしても、新しい都市名、それに伴う新駅名はどうなるのだろう。筆者の独断が許されるなら、「さいたま」「さきたま」、伊奈も加えた「YOU&I」プランに従えば、「ゆうあい」、それとも「新大宮」「新与野」...何とも難しい。さて、仮にYOU&Iに川口が加わったら、人口は優に150万人を超えてしまう。東京都の北隣に日本屈指の大都市ができるのは、夢もあるが、都市開発の名のもとに無理な造成が進んだり、いわゆるハコもの行政が跋扈してしまうのも考え物である。川口は東京都と政令指定都市の間の一大都市にとどまるのか、そうなった時この工場は埼玉工場のままでよいのか、などと酔い心地の中、考えていた。

 毎年、週間予報に一喜一憂させられる4月の第二土曜日日曜日。だが今年ほど直前の予報が当てにならなかった年はないと思う。フェスティバル前日の4月11日は、全国的な日本晴れ。その勢いでフェスティバル当日も当然晴れるものと思っていたが、起きてみると肌寒く、薄曇り。おまけに灰褐色の雲が流れている。今回は週間予報通り曇り/雨か、と4月12日の朝方は思っていた。ところが、あれよあれよと雲が引き、昼前には晴天になってしまった。前日の予報を聞いていなかったが、どうやら曇り時々晴れに変わっていたようだ。ともかくこれで筆者がフェスティバル実行委員になった1993年からは毎年晴天に恵まれていることになる。自称晴れ男でも何でもないのだが、お天道様が味方してくれているのは確かなようだ。

 今回は中央広場に繰り広げていたテント出展は取り下げ、正面入口と奥手の児童センターに企画物を集中させた。中央広場は風が吹き降ろす格好の地形になっているので、毎年テント出展は風に泣かされていた。配布するチラシが飛ばされて、それを拾い集める手間と言ったらなかった。その教訓から本部テントの類は正面に構え、本部扱いのパネル展示は児童センターに振り分けた訳である。この策が奏効して、パネル展示は前日から周到に用意できたし、風対策に人手をとられることもなかった。お手伝いスタッフの不足が心配の種だったが、少数精鋭で乗り切ることができたのは幸いだった。もちろん勝手知ったる常連スタッフが力を合わせた結果なのだが、少数の方がむしろ高効率なこともある、これは思わぬ発見だった。

 準備段階ではいろいろトラブルが多かったが、上述の通り、フェスティバル当日は至って順調だったと言える。スタンプラリーのシート3000枚は開園からハイペースでさばくことができ、スタンプ押しのトラブル、プレゼント引換のトラブルも特になし。会場が広いので、スタンプのポイント全てを回るのは難しい。そこで通過型と参加型の枠を用意し、前者は全部押す、後者はどれか1つに参加して押してもらえばOKという設定にした。ところが午後になるとスタンプを全部押してきたこどもたちや親子連れが結構やってくるので仰天。これはうれしい誤算だった。参加型の例を挙げると、ケナフの紙すき、自転車発電、川が汚れる原因を考える、拾ってきた木片でアクセサリーを作る、といったもの。それぞれが環境教育にちなんだワークショップであり、その全てに参加できたとしたら、ちょっとしたものである。こどもたちにとっては、学校でそうそういっぺんに体験することはないだろうし、親御さんにとっても、いろいろ学ぶところがあったとしたなら喜ばしい限りである。

980412.jpg 目玉は、坪田愛華さん原作の「ちきゅうのひみつ」に出てくる「アース君」。今まではパネル展示、ビデオ上映での登場だったが、今回は何と着ぐるみ人形に出演してもらい、立体的にアース君を楽しんでもらうことができた。名札がついているからそれを見れば「アース君」となる訳だが、遠くからでも「アースくん!」のかけ声をともにこどもたちが瞬く間に集まってくるのには驚いた。この知名度はいったいどうしてなんだろう、なんて言っていられない。アース君役はさすがに遠慮したが、マネージャよろしく付き添っていないと、時々アース君がひどい目に遭ってしまう。何せ頭の周りが1メートル近くあるものだから、まず目立つ。そしてそれを叩いたり、けっとばしたくなるのは、こどもにとってはごくありふれた衝動なんだろう。こどもたちを制止する役回りが必要になろうとは... もちろん、握手を求める、手をつなぐ、やさしくなでる、こうした行為が圧倒的だから、見ているこっちとしても情操面で救われるのだが、特にサッカー少年には空いた口がふさがらなかった。できるだけ少年達の一団と接触しないように誘導していたのだが、見つかるとすぐヘディングにキックの応酬である。「地球を大事に」「みんなが住んでる地球だぞ」なんて言ってもあまり効き目がない。どうにも言うことをきかないのがいたので、アース君役を彼に代わってもらうことにした。当然仲間が同じ仕打ちをするから当人はたまらない。さすがにこりたらしく、最後は握手して帰っていったが、丸いものに対する意識が攻撃的にしか向かないのかと思うとちょっと情けない。サッカーボールを地球儀に変えたら、少しは穏やかになるんだろか、なんて考えてしまう。アース君を通した環境教育、情操教育のあり方はぜひ考えておきたいと思う。それはこどもに対してだけでなく、ご両親を含めた話として。つまり、アース君に接する時は、地球そのものに接するのと同じ、ということをである。

 昨年はテレビの取材に関わったりということもあって、思うような身動きがとれず不本意だったが、今回のフェスティバルでは、ひととおりのイベントに目を配ること、出展者と会話すること、実際にワークショップを体験すること、といった参加者的な部分が半面楽しめたのでありがたかった。実行委員をする前に、まずは一参加者たれ、といったところだろうか。自分が参加してみたいものを企画できるのが実行委員のよいところである。それを実際に体験できないようでは実行委員をやっていても意味がない、ということを改めて感じた。

 こどもの国協会の皆様、環境教育ワークショップ・テント出展の関係者の皆様、実行委員・お手伝いスタッフの皆様、フェスティバルに向けてご指導ご協力いただいた数多くの皆様、そして何より当日ご来場ご参加いただいた皆様には、本当に感謝したいと思います。今回はいろいろ思い入れのあるフェスティバルでした。実行委員代表という訳ではないので大それたことを言う立場ではないですが、この場を借りて御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

【参考情報】

 今年も4月22日のアースデイ(地球の日)が近づいてきた。アースデイにちなんだ催しとしては、全国各地で開催される「アースデイ・フェスティバル」があるが、筆者はそのうち、横浜・こどもの国で開催されるフェスティバルの実行委員をしている都合上、この時期になると何かとあわただしくなる。

 今日は、当のこどもの国へ出かけ、他の実行委員メンバーと下見がてら打合せである。今年のフェスティバルは、昨年まで実施していた環境団体によるテント出展やアトラクションを盛り込んだステージの設営を見送り、よりソフト面を重視したものにすることにした。そうなると、こどもの国で開催当初より一貫してテーマに据えている「環境教育」に自ずと比重がかかってくる。そうした経緯から、今年は従来の環境教育プログラムに加え、ネイチャーゲームを展開してみようということになった。今日の打合せでは、神奈川県の地域ネイチャーゲームの会では最大手の「湘南ネイチャーゲームの会」の皆さんと合流し、フェスティバルでネイチャーゲームを実施するにあたっての意見交換等を行うことができた。

 ネイチャーゲームに下見は不可欠。ひととおりの打合せを終えた後は、早速、フェスティバル当日に実践するゲームの内容と場所の確認である。昨年11月にこどもの国でネイチャーゲーム初級指導員養成講座を受講した時の感覚を思い起こしながら、だが今度は自分で実践することを想定しながらなので、入念に考える。実際にゲームをするのはフェスティバル当日(4月12日)なので、今よりは春景色が期待できる。湘南ネイチャーゲームの会代表の上級指導員の方の助言もあって、森の中の色を探すゲームをまずすることに決めた。草の色、花の色が鮮やかな季節にはぴったりである。参加対象をこども中心に考えると、場所はこどもが集まりやすく、かつ誘導しやすいところということになる。といった具合で、フェスティバルの実行委員としてではない、違った見方で園内を回れるのが又楽しい。その上、この蕾は何だろう、この土の感触はどうだろう、などとやっていると指導員養成講座さながらである。

 さて、春らしい陽がどことなく差し込む中だが、風は冷たい。冷え込みきる前にネイチャーゲームの下見を終え、次は、パネル展示をする予定の児童センターの様子を見る。昨年は本部にかかりっきりだったので、久しぶりだった。思ったより展示スペースが広いことがわかり、予定している展示がこなせる見込みがついた。

 他の主だったイベントについて、現時点では次のような状況である。

  1. 環境教育ワークショップ(リーダー養成コース)~「自然を大切にする心、みんなに伝えよう!」
     主催は、かながわ環境教育研究会。現在、参加申し込み受付中。
  2. 環境教育ワークショップ(一般コース)
     環境教育団体の参加で決まっているのは、矢上川で遊ぶ会、あそびの国、日新カモミール、非木材紙普及協会の4団体。これと今日下見を行った、ネイチャーゲーム(午前1回、午後2回)。環境教育団体の参加は引き続き交渉予定
  3. 自然エネルギー展
     (株)ワーカーズコープ エコテックによる出展は、自転車発電、簡易ソーラーパネルによる電化製品の稼動実験、風車による発電等。グリーンピースジャパンによるソーラーキッチン「サンクック」は検討中。
  4. 「地球交響曲 第三番」上映会
     皇太子記念館にて開催。入場は無料。午前10:00~と午後13:30~の2回上映。各回2時間30分。
  5. 児童センターパネル展
     「絶滅しそうな動物写真」(内山晟氏)、「道はだれのもの?」(クルマ社会を問い直す会 同写真展東京実行委員会)、「ちきゅうのひみつ」(地球環境平和財団 AIKAクラブ)、「ストップ!地球温暖化」列島縦横エコリレー紹介展、「エコロジーライフ提案」、協賛企業によるパネル展示(ビールビンのリサイクル)、環境教育CD-ROMのデモンストレーション、環境教育ビデオの上映、等。

 今日で一段落がついたとは言え、実行委員会事務局の運営、チラシの配布、広報の充実、環境教育ワークショップ参加者の募集、当日のボランティアスタッフの募集、案内板やプログラムの作成、などなど、作業は続く。フェスティバル当日まで1カ月をきり、実行委員一同、気を引き締めているところ。早く開催したい、いやもうちょっと時間が欲しい、と心動く時期でもある。

 末筆ながら、皆さんのご声援ご参加、心よりお待ちしています!

 ☆東京モノローグ、今回は東京を離れて京都からのレポートです。

 11/29のJRダイヤ改正で新大阪~博多を走っていた500系新幹線のぞみが東京入りすることになった。指定席を電話予約する時に偶然気がついて、何はともあれ乗ってみることにした。今回の改正で500系を乗り入れたのは、やはり地球温暖化防止京都会議(気候変動枠組条約第3回締約国会議=通称COP3)に備え、東西から京都入りする乗客の輸送スピードをアップする意図と同時に、JRとしてさりげなくPRを込めたかったからでは、とふと思った。

 「ストップ!地球温暖化 列島縦横エコリレー」の自転車は東京~京都の間を約20日間かけて走ってくる訳だから、それをたったの2時間14分で来てしまうのは、何とも申し訳ないと言うか、物寂しいと言うか。速さに感激するよりもそうした感情が強かったのは確かである。加えて、地道に人力で走り続けることの偉大さと、エコリレーに寄せられるたくさんの思いやメッセージの重さ・熱さを感じずにはいられなかった。とにかく自分にできることは、全国から京都をめざして集まってくるその自転車の隊列を出迎えることと、11/30のエコリレーのフィナーレを飾る京都市内での自転車パレードの準備くらいなもの。スタートからゴールまで走り通した方々の労にはとても及ばないものの、少しでも手伝うことができるなら、と馳せ参じた次第である。

 景観論争を起こした京都の新しい駅ビルは、確かに論争を呑み込むかのような威容で、古都の玄関口とにしては立派すぎるつくりだと思った。COP3で訪れる外国客は、この京都駅を見てどう思うだろうか。太陽光発電はあるようだが、他に風力発電の設備を付けるとか、雨水を使った中水道を設けるとか、壁面緑化なり、ビオトープを作るなり、もっとエコロジカルな駅をめざしてもよかったのでは、と思う。とは言え、集客力は抜群だし、皆さんにこやか顔で駅ビルを堪能しているのがよくわかったので、それはそれでよしとすべきだろう。駅ビルをひととおり見物した後、まだ自転車が到着するには時間があったが、とにかく集合会場である山陰本線の二条駅へと急いだ。

 16:30の集合に対して、17:00までに着いた自転車隊は3コース分。街宣カーの先導に続いて、続々と自転車が走り込んでくる。出迎えの人数はちょっと少なめだったが、労をねぎらう声援と拍手で大いに盛り上がった。感極まる場面である。東北・太平洋コースの隊もやってきて、自分が第一京浜で乗ったであろう自転車と再会した時は、言い知れない歓喜を感じた。翌日は6つのコースに分かれた自転車パレードが市内を縦横に走る。パレードは大谷大学にいったん集結した後、連なって京都市役所をめざしてフィナーレを迎えるという設定。二条駅の集合会場は、その6つのコース分けが既にされていて、自転車が手際よく並べられていく。何台くらい運んだのか覚えていないが、それだけ夢中になって作業していたんだと思う。自転車と旅を続けてきた旗幟は、風雨や排気ガスと闘った後と言うか、当然のことながら、かなり摩耗が進んでいた。使用に耐えるものとそうでないものを分けたりしながら、残りの自転車隊の到着を待つ。すると辺りが暗くなり始めた頃、大粒の雨と稲光が襲ってきた。この時の低気圧は静岡でも猛威を奮ったそうで、東海道新幹線を止めてしまったと言うから空恐ろしい。新幹線で足止めを食って、11/30の準備で京都入りする筈のスタッフの到着が遅れたこともあとで聞いた。ともかくこの大雨のせいで、残りのコースの自転車は、走行を中断し伴走のトラックに積み直しての到着になってしまった。盛大な出迎えができなかったのが惜しまれるところである。

971130.jpg さて、雨が降り尽くしてくれたおかげで、寒さは厳しかったが、11/30は朝から程々の天気となった。予定ではもう一度二条駅に行って、自転車パレードの出発の手伝いをする筈だったが、急遽、フィナーレの会場になる京都市役所へ行くことになった。そこで開催される「市民環境フェスティバル御池」の設営準備の人手が足りなかったのである。いつものアースデイのメンバーと合流し、エコリレーのブース出展の準備と、エコリレーの各コースで集めた様々な方達の寄せ書きが詰まった長~い布を貼り出す作業に徹した。他のNGOの出展を見て回ったり、東京で顔なじみの方々と会話する余裕が少しはあったのでよかったが、布を人目に留まるようにセッティングするのには本当にてこずった。時折強く吹く風のせいで、布を掲げるポールが倒れてしまうのである。結局、地面に直接貼り付けるなどして、何とか収拾。あとはエコリレー(自転車パレード)の到着を待つばかりとなった。そしてその時は訪れた。予想していたのとちょっと違う現われ方だったので意表を突かれたが、14:00を回った頃、京都府と京都市の長、それに岩垂元環境庁長官の先導で、自転車約600台が次々と市役所の玄関前めざしてゴールイン。感動的なフィナーレ(温暖化への取り組みはこれからがスタートでしょうが)を現場で体感・共有することができた。

 エコリレーは総勢約1万名の方々の参加を受け、その間集めた自治体首長からのメッセージ数は、最終日の京都市と京都府を含めて1395になったとのこと。フィナーレには大木環境庁長官も駆けつけ、荒巻府知事から1395のメッセージが手渡された後、COP3の成功に向けた決意表明がなされた。(COP3では、このメッセージに託された思いを受け止め、国益ではなく地球益を優先する形で、大木議長にはまとめあげてもらいたいと思っています。)

 エコリレーでは1件の事故や負傷者も出なかったと言う話を聞き、安堵すると同時に、クルマ社会の今日にあって極端なことを言えば、神憑り的なものを感じた。自転車の復権、底力を示したこの一大プロジェクトは、温暖化防止にかける多くの人たちの熱く厚い思いが実を結んだ成功例として、そして具体的な温暖化防止行動・環境保全行動を促す原動力として、記憶され、継承されることは間違いないだろうと思う。

971201.jpg 市民環境フェスティバルの撤収後は、エコリレーの紹介ブースを国際会館で出すと言うので、その準備に向かった。12/1の国際会議初日は、パスの余分が出なかったため入れず、外側を見て回っただけだったが、11/30にちょっとだけ入れたのは幸いだった。X線の手荷物検査に面食らったり、場内の照明やコピー機がフル稼働状態だったのに閉口したりしたものの、国際会議の緊張感・臨場感が体験できたのは、今回のお手伝いツアーでのもう一つの大きな収穫と言える。

 会期中はアースデイの常連スタッフは現地にいます。こっちは留守番しながら、会議の行方を見守るのみ。心からエールを送りたいと思います。

 12月に開催される地球温暖化防止京都会議(気候変動枠組条約第3回締約国会議=通称COP3)に向けて、日本列島各地を自転車のツーリングでリレーして、京都をめざそうと言うNGO挙げての一大イベント、「ストップ!地球温暖化 列島縦横エコリレー」が11/8に東京入りした。青森県を起点とする「東北・太平洋コース」の流れを汲んで、千葉県から渡った自転車バトンは、11/8のうちに北千住へ、翌11/9には原宿・表参道での街頭アピールに一役買い、11/10は23区の各区役所を起点にしたり経由したりで、新宿区役所と都庁をめざして、再度集結といった具合。そして11/11はいよいよ神奈川県へのバトンパスと言うことで、筆者も参加させてもらった。

 田園調布から蒲田駅行きのバスに乗り、久が原界隈をめざす。集合場所の詳細をつかんでいなかったので、とりあえず聞いた通り、久が原センターなるものをバスの窓外から探しながらの乗車である。すると、安浄寺と言う停留所に止まる手前の児童公園で、エコリレーの自転車隊と思しき一団が目に留まった。あわてて安浄寺で降り、その一団と合流、すかさずエコリレーに参加という、何ともハプニング調の出だしとなった。久が原センター集合では?と尋ねると、ここに変更になったとのこと。久が原センターについても尋ねてみたら、この日のエコリレー主催団体であるマイコープ大田の久が原センターを指していた。てっきり大田区の出張所か何かかと思っていたので、あやうく乗り過ごすところだった訳である。こういう時ばかりは本当に強運だと思ってしまう。

 乗りなれないサイクリング専用の自転車なので、不安定さが隠せない。最初は乗りにくそうにしていたマイコープの奥様方は、何だかんだですぐ順応してスイスイ走っている。予め後尾を走っていたので、不格好さを笑われずに済んでよかったと、これを書きながら述懐してしまう自分がちょっと情けない。何はともあれ、用意された自転車に乗って、池上本門寺や呑川沿いを颯爽と走れるんだから、これはちょっとしたレンタサイクル気分である。もちろん後輪には「ストップ!地球温暖化」なんて旗幟をくっつけてる訳だから、単なるサイクリングとは一味違うのだけれど。

 10時ちょうどに大田区役所に着くと、区長以下、関係する区職員の方々の出迎えを仰ぎ、特にバトン自転車は拍手の中を正面に通され、思いがけず晴れ舞台に上ることになってしまった。青森から延々と乗り継いできたのならともかく、たかだか2kmちょっとでの歓待だったので恐縮の極みである。京都会議に手渡される、リレー各通過点での自治体首長のメッセージに大田区長の分も加えられ、その旨あいさつを頂く。他にも関係各位からの激励や、リレーチームの声明発表等が続き、ちょっとしたセレモニーになった。(久が原からのエコリレーを含め、このセレモニーの準備に労を尽くしたマイコープの皆さんには本当に敬服させられました。) さて、セレモニーが終わるといよいよプラカードや小旗を持った行進チームと自転車チームによるねり歩きが始まる。大森駅までの約1kmである。「止めよう、地球温暖化!」の声が響く。自転車は大田区役所からの合流もあって、一列に連なると結構な長さになる。自転車を押す人の背には「ストップ!地球温暖化」の表示。温暖化をこれだけストレートにアピールするデモンストレーションがこれまであっただろうか、と自分も含めて感心してしまった。商店街の狭い歩道を通ると、通行の妨げになる点は否めないが、その分注目も集まるというものである。時折、一般の方との会話も生まれる。温暖化に対する関心を少しでも高めてもらえたのなら、ありがたい限りである。ゆっくり進んで大森駅東口に着いたのは、11時であった。

971111.jpg 大森駅を出ると、ここからが自転車リレーの正念場である。第一京浜沿いに、神奈川県境まで5kmほどの道をひた走る。自転車専用道がある訳ではないので、ねり歩き同様、縦一線の走行となり、なかなかの壮観である。アピールの発声はできないけれど、その分「ストップ!地球温暖化」の旗幟が雄弁に伝えてくれているのを感じた。思ったより信号が多く、それも青信号は自動車優先だから、先頭から最後尾まで一気に渡り切れない。休み休みの自転車隊は、11時30分に平和島、11時45分に梅屋敷、11時50分に京急蒲田、といった具合で、「ねり走り」状態だった。抜き去って行く車のうち、何台の車にアピールが届いたかはいざ知らず、遅々とした中にも、確実に京都まで走り継ごうという意志が駆け抜け、沿道に何かを残していったことだけは確か。これは誇っていいことだと思う。予定していたJR蒲田駅での街頭アピールは、こういう訳で神奈川へのバトンパス時刻までの余裕がなくなってしまったため、見送り。そのおかげで12時きっかりに六郷橋に到着した。この時同時に、世田谷区役所から多摩川沿いに走ってきた別の自転車隊と合流できたのは、ちょっとしたドラマだった。連合神奈川の車の先導を受けて、川崎市役所に着いたのは、予定通りの12時30分。バトン自転車は又しても前に通され、大拍手を受けることになる。大田区役所で場慣れしたので、今度は晴れ晴れと歓待を受けることができた。排気ガスと座り慣れないサドルとの戦いはあったが、終わってみればどうということもない訳で、心と体を動かした心地よさと適度な疲れがそれを上回った感じである。それにしても大腿部が痛い...

 銀座挙げての「バリアフリークリエイション'97」なる催しが行われたので、見に行った。街中のそこここでの開催という点もすごければ、協賛企業・協力団体の多さにも目を見張るものがある。お年寄りや障害を持った方、そしてこどもたちにとって、世の中の工業製品・商品は何らかのバリア(障害・障壁)を有していることは否めない。物に限らず、施設や交通といった社会資本にもそれはある。バリアフリーという発想は、世間一般の健常者というか、最大公約数的な人を中心にしたところからは出てこない。いわゆる弱者優先の論理だが、人にとってやさしい物は、あらゆる普遍性を兼ね備えることになる。お年寄りや障害を持った方にとっての使いやすさは自ずと、一般の人にとっての使いやすさと直結するのである。バリアフリーと言う言葉自体は最近のものでもないのだが、時間をかけて確実にトレンドになってきたことを感じさせる。

 何カ所かあるバリアフリーの展示の中で、ソニービルで開催された「共用品だからもっとみんなが使える」展に足を運んだ。バリアフリーをテーマにした製品・商品がくまなく展示されていて圧巻だった。この手の発想で名高いのは、0~9のテンキーの中心に位置する5に付けた小さな凸や、テレホンカードの挿入方向を間違えないために施された切り欠きなどが挙げられる。何の変哲もなさそうな小さな工夫だが、利便性の向上に絶大な寄与となっていることは言うまでもない。

 数あるバリアフリーグッズの中からいくつか目に付いたものを紹介したい。まずは、「座シャワー」。その名の通り、座ったままシャワーが浴びられる優れものである。首から腿のあたりまで、くまなく温水があたるよう噴射ノズルが付いている。体が不自由で浴槽に入りにくい方には特に重宝しそうである。次は、各種プリペイドカード。テレホンカードに限らず、オレンジカードやバスカード、図書カードやふみカードなど、多種多様なプリペイドカードが出まわっている世にあって、これらカードを目を閉じた状態でも判別できるようにできるなら確かに便利である。買い物・乗り物・テレホンの3種を共通仕様にして、切り欠きの形を変えて配布する試みが始まっている。そして食器洗いを兼ねた台所シンク。給水口から出る水だけでなく、シンクの脇からもシャワー状に噴水が出れば、洗い物にはもってこいである。片手で食器を持って、もう片方の手で洗う、という手間が少しは省ける訳である。他にも、右左の識別用の点字を施したヘッドホンや、扇風機タイプのハンドフリードライヤー、操作ボタンの大きさにこだわったラジカセ、などなど。スーパーやデパートで時折見かけるアイデア商品バザールの類でも、バリアフリーに適ったものに出くわすことはあるが、はじめからバリアフリーを意識して作られたのとはやはり迫力の違いを感じざるを得ない。

 会場の壁面には、主催者であるE&Cプロジェクト(Enjoyment & Creation)の日頃の研究成果が展示してあった。中でも仕事柄、目に留まったのが、取扱説明書班による様々な取扱説明書が持つバリアに関するアンケート結果。大多数の声として挙げられていたのは、

  • 全体的内容が把握できない。
  • 見えにくい色文字が注意書きとして重要なところに使われている。
  • 点字やテープによる取扱説明書が用意されていない。
  • 図が多すぎる。
  • 文字が小さい。
  • 細部(修理・保全等)の説明がない。
  • 細部にわたって書かれすぎている。
  • 専門用語やカタカナ語が多すぎる。

 といったものである。さらには、

  • 有料でもわかりやすいものがほしい。
  • ビデオ・CD-ROM等のオンラインマニュアルがほしい。

 との追記がある。PL法の絡みもあって、取扱説明書が果たす役割は重要この上なくなってきている。買い求める側にも確実に取扱説明書を読み込んで、正しく使用する責任が問われる一方、製造・販売側にも、いかにバリアが少ない(あるいは皆無な)取扱説明書を提供できるか、という点が問われている。肝に銘じておきたいところである。

 駒場東大前と来れば、もちろん東京大学の教養学部がまっさきに思い浮かぶ。しかし、東大のキャンパスだからといって、学問の府を象徴する建物ばかりというのは早計である。大学につきものの生協の近所には、往年のシックな建物が軒を連ねている。いずれも寮として使われていた(いる?)もので、何やら保存か解体かをめぐってひと悶着あるようだ。その寮の一つである「中寮」が実はギャラリーを擁しているなんてことは、よほどの事情通でもなければ知る由もない。学問の府、故に表現活動を保証する空間もあるのだと思えば、合点がいく。とにかく駒場東大というところは奥が深そうだ。

971015_1.jpg 中寮ギャラリーと言うからには、それなりの案内板や標識があるのだろうと思いきや、建物の前に着くまでこれといったものが見当たらない。寮の玄関の上部に「中寮」と古めかしく、かつでかでかと表示してあるばかりである。日中ならまだしも、辺りが暗くなってからでは、このギャラリーにたどり着くのは至難なのでは、などと思いながら目当ての個展会場へと足を向ける。

 ここ数ヶ月来の知り合いであるY.A.さんがこの場を使って個展を開くと言う。うまく言えないが、寮特有の粗雑さや空疎さといったものをうまく活かしたこのギャラリーは、小規模な個展にはうってつけだと思った。深川の近所の佐賀町というところにも、倉庫をそのままアートスペースとして転用しているギャラリーがある。倉庫が持つ虚ろな開放感が心地よく、特に現代的な出展物には妙にマッチするようだ、という印象を持ったものである。これと同じように、寮の大部屋のガランとした感じ、壁の不自然な白さといったものが作品を引き立たせているように感じた。本人に尋ねると、一日あたり300円で貸し切れるということもあって、この場所を選んだのだと言う。でもやはり自分の作品をわかっていないとそう易々といい場所は選べないと思う。

 案内状を見る限り、コラージュを使った絵画展かと思っていたが、入り口から聞こえるのは水泡がブクブク鳴る音。まず目に飛び込んできたのは、どうやって持ってきたのかと訝ってしまう家庭用円形プールだった。淡い色調のタイルが敷き詰められてあって、水が張ってある。チューブの先から泡がブクブク、である。見渡すと絵画らしきものはなく、いわゆるオブジェの展覧だった。こうしたオブジェ展は、それこそ佐賀町で見た以来で、ふだんあまりお目にかかれないということもあって、思いがけず楽しむことができた。

971015_2.jpg 「おなじとき、そのあいだ」というY.A.さんの個展。タイトルのついた作品は全部で3つだが、「おなじとき、そのあいだ」を体感するには、本人の解説があった方がいいようである。さっきのプールに話を戻すと、チューブからの泡の音を拾う仕掛けがしてあって、その音は黒電話とつながったもう一本のチューブを通じて受話器から聞けるようになっている。その音のあまりのリアルさに驚くと同時に、水泡が弾ける音の持つ躍動感を感じることができた。ちょっと離れてはいるものの、受話器を通じてまるで耳元でブクブクやっているような臨場感が、ある意味で「おなじとき」を感じることになるようだ。

 同じような原理で、「電話型聴診器」なる作品があった。聴診器で拾った音が受話器から聞こえる仕掛けである。聴診器は自分の心音に向けてもいいし、音や振動を発するそこらへんにあるものにあててもよさそうだ。一家に一台あると楽しそうである。自分の心音を電話の相手に伝えるなんてことができれば、これはもう遠隔医療の世界である。

 もう一つ「CHIZU」というタイトルの作品があったが、地図大好きの筆者がこれについてコメントしていると、とりとめなくなりそうなので控えることにする。Y.A.さんに多かれ少なかれ縁のある土地の地図の断片を貼りあわせたもので、そこここにラジオの伸縮アンテナを挿した水の入った牛乳ビンが置いてあって、各地が時空を超えて交信しあっているような印象を受けた。

 遠くにあっても「おなじとき」を共有しやすくなった現代社会にあって、その物理的な距離を縮められた「そのあいだ」について、考えてみたくなった。中寮ギャラリーは、縮めてはいけない時間的な「そのあいだ」について、その姿を保つことで語り継ごうとしている、そんな気を抱かせる。好企画でした。Y.A.さん、ありがとう。

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